「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 香春の土地(地形)について

 香春町のように四方が山に囲まれている土地(地形)である。奈良盆地では、山に囲まれている表記の範囲が広すぎる。 

 抑又(はたまた)塩土(しほつつの)老翁(をぢ)に聞きき。曰ひしく、『東に()(くに)有り。青山(よもに)(めぐ)れり。其の中に亦、天磐船(あまのいはふね)に乗りて飛び降る者有り』といひき。余謂(われおも)ふに、()(くに)は、必ず以て大業(あまつひつぎ)恢弘(ひらきの)べて、天下に、光宅(みちを)るに足りぬべし。(けだ)六合(くに)中心(もなか)か。()の飛び降るといふ者は、是饒速日(にぎはやひ)と謂ふか。何ぞ就きて都つくらざらむ。」とのたまふ。諸の皇子(こた)へて曰さく、「理実(ことわり)灼然(いやちこ)なり。(おのら)も恒に以て(おもひ)としつ。(しみやか)に行ひたまへ。」とまうす。是年、太歳甲寅(きのえとら)
『日本書紀 神武天皇紀』

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 灼然:いやちこ(いいちこ)とは、大分県の方言で「いい(よい)」を意味する言葉。

以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

 理實灼然なり。の「いやちこ」は、岩波体系本の頭注に、「イヤは、イヨイヨの義。チコは、チカ(近)の音転か。効験などのすぐさま現れる意。」とある。が、文脈がまるで通らない。
 久留米大学で講演したとき、聴講の方から次を教えられた。

 「大分の麦焼酎の『いいちこ』はここのイヤチコと同じだ。地元では、『もっともだ。いいことだ。』の意で使っている。」と。早速、調べてみると、大分県宇佐市の三和酒類株式会社が製造する麦焼酎の名が「いいちこ」、同社が発行する文芸雑誌が iichiko である。
 「いいちこ」とは、大分県の方言で「いい(よい)」を強調する言葉とある。言葉としての「いいちこ」という表現は、大分県の中でも主として北部で用いられていて、福岡県東部と合わせて「旧豊前国」の方言であることが知られ、これもまた偶然の一致とは考えにくい。

 神武天皇が、北九州に実在した人物であるとき、古代北九州方言の「いやちこ」の意味は約二千年の時を隔てて、現在の大分の焼酎の名「いいちこ」に正確に伝えられていたのである。
 したがって、神武の皇子たちは、東征のお考えはよいこと(もっとも)だ。と同意したのであり、実にすっきりした文脈になる。これを疑う余地はない。