「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 鏡の池 = 神功皇后伝承地

  鏡乃池

「写真」

 この池に神功皇后が自分の姿を写し、髪の乱れを直したので「 鏡乃池 」と呼ばれるようになったという伝説。

 写真は、「大善寺玉垂宮と久留米の古代史」の講演より

 

※  香春の神と天皇
(令和6年1月6日(土) 香春町郷土史会例会)

 『万葉集』355番歌  生石(おふしの)村主(すぐりの)真人(まひと)歌一首

 大汝少彦名のいましけむ志都(しつ)石屋(いはや)は幾代経にけむ

 歌の中に出てくる「志都(しつ)石屋(いはや)」が何処か?「 生前の大物主の居所」を田川市夏吉の若八幡宮御縁起より見出している。

 『古事記』にある素戔烏尊の「出雲八重垣」と詠われた須賀の宮跡の地も香春町鏡山の鏡乃池の奥に見つけ出した。その小山の場所は、下から数えると丁度8段になっている。

※  第13回古代史講座古代田川を解き明かす
 鷹羽の神々 -倭成す大物主-
 (令和元年十月二〇日(日)、主催 田川広域観光協会古代史研究会 、於 福岡県立大学大講義室)より

 三輪山(香春岳)の近くにあるこの  「玉垣様」 は、大物主であった。

神武天皇紀の大己貴大神
 復た、大己貴大神(なづ)けて曰はく、「玉牆(たまがき)の内つ国。」とのたまひき。
 饒速日命、天磐船に乘りて、太虛(おほぞら)を翔り行きて、是の(くに)(おせ)りて(あまくだ)りたまふに及至(いた)りて、故、因りて目けて曰はく、「虛空(そら)見つ日本の国」と曰ふ。

香春町鏡山にある「鏡乃池」。
この少し先に「玉垣様」という小さな石祠がある。

「写真」

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