「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 味見峠(あじみとうげ) = 宇治天皇の宇治宮と大鷦鷯天皇の難波高津宮の間にある峠

 味見峠(あじみとうげ)は福岡県京都郡みやこ町と田川郡香春町に跨る標高100m程の峠である。仲哀峠の
北側に位置する峠で、峠には福岡県道64号苅田採銅所線が通っている。

味見「アジミ」の由来は、
  一、宇佐八幡の所領としての勾金荘が「安心院氏」によって支配されていたこと
  一、障子ヶ岳と龍ヶ鼻の鞍部即ち馬の鞍の古語「アジム」
  一、採銅所中野に魚市場があったことから京都郡豊前海の新鮮な魚介類が
     人の背によって運ばれ、峠で鮮度や味見をしたこと
                   等の諸説がある。
<味見峠の案内看板より>

「説明板」
「地図(味見峠周辺)」
『日本書紀 仁徳紀』
 既にして宮室を菟道に興てて居します。猶位を 大鷦鷯尊に譲りますに由りて、爰に
皇位空しくして、既に三載を経ぬ。
 時に海人有りて、鮮魚の荷苴を齎ちて、菟道宮に献る。
 太子、海人に令して曰はく、「我、天皇に 非ず」とのたまひて、乃ち返して難波
進らしめたまふ。
 大鷦鷯尊、亦返して、菟道に献らしめたまふ。是に、海人の荷苴、往還に鯘れぬ。更
に返りて、他し鮮魚を取りて献る。
 譲りたまふこと前の日の如し。鮮魚亦鯘れぬ。海人、屢還るに苦みて、乃ち鮮魚を棄
てて哭く。
 故、諺に曰はく、「海人なれや、己が物から泣く」といふは、其れ是の縁なり。

⇒ 大鷦鷯天皇の 難波高津宮 (行橋市の五社八幡神社)と宇治天皇の 宇治宮 (香春町宮原古宮ヶ鼻の阿曽隈社)の
 間にある が鮮魚の  鮮度、味見をした場所 = 味見峠 の由来の故事ではないか?

 

<以下、『宇治の京』より引用>

 太子菟道稚郎子と大鷦鷯皇子が皇位を譲り合ったとされる逸話である。
 この時、海人が菟道宮と難波(宮)を往還し、その間に鮮魚が腐り、他の鮮魚を献上したが、前日同様に二人が譲り
合ったため、亦も鮮魚が菟道宮と難波(宮)の往還の間に腐ってしまったというものである。
 季節ははっきりしないが、菟道宮と難波宮の間の一往復の時間で鮮魚が腐る距離、しかもそれが徒歩によるものと
考えると、両宮の道程はそれほど遠くない。一往復でおよそ二〇キロメートル、徒歩五時間前後であろうか。
 それに対して、通説のように、京都府の宇治と大阪府の難波との距離なら、 ざっと四〇キロメートル以上となり、
片道の途中で鮮魚が腐る。
 また海で得た鮮魚を先に菟道宮に献上する道程がはなはだ合理的ではない。もし、船で運んだとしてもまだ合理性に
欠ける嫌いがある。川魚はほぼ論外である。
 この逸話が史実か否かは証明のしようがないが、少なくとも鮮魚の腐るという逸話が成立するには、 菟道宮と難波宮の
距離が意外に近かったという、相応の説得力を有するものでなければならないだろう。
 この時既に、豊前国内に難波高津宮を見出していた。行橋市入覚に鎮座する五社八幡神社が難波高津宮跡と考えられる。
 万葉集一三・一四番歌の追究から偶然に見出された。

 <所在地マップ>

「地図(香春町~行橋市北西部)」

 <所在地のGoogelマップ>