「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 勾金(まがりかね)神社 = 安閑(あんかん)天皇の「勾金橋宮(まがりのかなはしのみや)」の地

 第27代 安閑天皇。都は、勾金橋宮。

■ 『日本書紀 安閑天皇紀』

元年の春正月に、都を大倭国の 勾金橋(まがりのかなはし) に遷す。因りて宮号とす。

 

 福永晋三先生の「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 真実の人徳天皇-香具山に登りて望國したまふ天皇」の資料「 宇治の京 村高完成版 」の7~8ページに「安閑天皇の勾金橋の宮の跡と思われる勾金神社(香春町大字中津原字苫島)」についての記述があります。<以下、『宇治の京』より引用>

 『古事記 安閑記』は、「勾之金箸宮」と記す。従って記紀の表記を比べると、語の構造としては「勾の金の端の宮」ということになろうか。
 そうすると、基幹となる地名は「」ではなかろうか。「金辺川」の意味ともよく符合する。この金辺川の流れが南から西に「曲がる」ところに勾金宮があり、そこが「金の端」であるなら、「」の中心地は「宮原」の辺りであろうと思われる。

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