「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 撃鼓(げきこ)神社/白旗山 = 神武・東征の地

鞍手郡誌(昭和 9 年発行版)射手引神社社伝による神武天皇東征の地( 東征コース  T:撃鼓神社、U:白旗山)。

撃鼓神社

「写真」

 

神功皇后に関係の撃鼓神社内にある「乳の池」の石碑

「写真」

 

以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

 「撃鼓神社古縁起」はすでに失われているらしい。現在(二〇〇七年八月)の宮司佐伯氏によれば、 撃鼓神社の由来は、神社名鑑に書かれた「撃鼓(うちつづみ)神社…神功皇后三韓を平伏凱旋後、伊弉諾大神を斎き給う。征伐の砌り、志賀の浜で神楽を奏せられた。時に祭神がその鼓笛の事を司り給うたので此の名があると云う。」の説明とほぼ同じであった。

 昭和十九年発行の福岡県神社誌には、「創立年代太古にして不詳。神武天皇御東征に際し又神功皇后三韓御征討に當り祈願報賽の事舊記に載せたり。」と見える。

 

白旗山(同) 天祖を祭られて神託を得られた靈跡

 ここは、現在の撃鼓神社の上宮であり、下宮の撃鼓神社は大正十四年に同所に合併されたとある。祭神は、天太玉尊、天児屋根命、細女命となっている。

 

 <所在地のGoogelマップ>

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