「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 厳嶋神社 = 神武・東征の地(天皇、宗像三女神を祭り給ふ)

鞍手郡誌(昭和 9 年発行版)射手引神社社伝による神武天皇東征の地( 東征コース  J:嚴嶋神社

以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

 嚴嶋神社 (同) 天皇、宗像三女神を祭り給ふ

 由緒に
神武天皇御幼名狹野命と申奉る時筑紫を回り給ふとて豊前国より此村に移給ふ馬牧より足毛の馬を
 奉り其馬に乗せ給ひ嘉穂郡馬見村へ出給ふ迄老翁見送り奉るより當村駈馬村と唱ふ村稱の起源也
 (後略)

とあり、鞍手郡誌編者の推測とコースが異なる。

以下、『新説日本書紀(第10回、2021年12月17日)』講座動画の画像より

  射手引神社社伝に採れた嚴島神社(嘉穂郡頴田村)の由緒の中に「駈馬村」の起源が書かれて
   いる。動画の説明は、  こちら からご視聴頂けます。

第二次神武東征 
射手引神社社伝等+日本書紀
一、鹿毛馬(同)
天降八所神社縁起(頴田村大字佐與字柱松)
「此の時、駒主命が、一頭の駿馬を献じようとし、牧司に命じて之を御前に捧げやうとした際、馬は驚いて高く嘶き、一散にして駆け出して深山に飛び込んだので、牧司は後を追ふて曳き帰ったといふが、その駆け出したところを駆の馬といひ、馬の駆け込んだ山を馬見山といひ、献上した駿馬が鹿毛であったところからこの駈の馬は鹿毛馬ともいひ伝えて居ります。」
一、嚴島神社(同)
   天皇、宗像三女神を祭り給ふ
 由緒に「神武天皇御幼名狭野命と申奉る時筑紫を回り給ふとて豊前国より此村に移給ふ馬牧より足毛の馬を奉り其馬に乗せ給ひ嘉穂郡馬見村へ出給ふ迄老翁見送り奉るより當村駈馬村と唱ふ村稱の起源也」

 <所在地のGoogelマップ>