「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 王子神社(大字感田)=「築坂邑」

以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

 王子神社(直方市大字感田字八つ辻)社説に曰く、神武天皇の朝道臣神籬を起て給ひし所なりといふ。道臣命
共通するから、感田が「築坂邑(つきさかのむら)」であろうか。

『日本書紀 神武紀』
 二年の春二月の甲辰朔乙巳に、天皇功を定め賞を行ひたまふ。
道臣命に宅地を賜ひて、築坂邑に居らしめたまひ、以て寵異みたまふ。 (後略)

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