継体天皇の故事に関しては、近くの須佐神社(旧築上郡岩屋村大字篠瀬字古屋敷)に次のような伝承が
残されている。
春祭りに奏される清明楽の由来の初めの部分である。
「抑當社田樂の由來奏尋に人皇二十七代継體天皇の御宇にあたりて、犬ヶ嶽の悪鬼四方に繁亂して諸民是が
ために悩まされ、時に求菩堤山行善大徳丹誠をゐきでて權現に祈、かのみょうじゅつを以狗嶽のいたゞきに
封じ納て鬼神と祭る事偏に白山大權現の靈驗いちじるしき所なり、貴賤伏して尊み嬉事限なし。依て廣前に
於て楚村のゑいじを集、初て此樂を奏して神慮を清め奉、
(後略)」