「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 須佐神社

 以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

 継体天皇の故事に関しては、近くの須佐神社(旧築上郡岩屋村大字篠瀬字古屋敷)に次のような伝承が
残されている。
 春祭りに奏される清明楽の由来の初めの部分である。
抑當社田樂の由來奏尋に人皇二十七代継體天皇の御宇にあたりて、犬ヶ嶽の悪鬼四方に繁亂して諸民是が
 ために悩まされ、時に求菩堤山行善大徳丹誠をゐきでて權現に祈、かのみょうじゅつを以狗嶽のいたゞきに
 封じ納て鬼神と祭る事偏に白山大權現の靈驗いちじるしき所なり、貴賤伏して尊み嬉事限なし。依て廣前に
 於て楚村のゑいじを集、初て此樂を奏して神慮を清め奉、
  (後略)

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