「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 高木神社(嘉穂郡山田町大字熊畑字政處)

以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

神武山
 (同宮野村、熊田村) カムタケ山といひしが今は單に神山といふ
 
高木神社(嘉穂郡山田町大字熊畑字政處)社伝
 「神産霊大神は神武天皇東征の時、宇佐島より田河邊を経て筑紫の国の岡田宮に出御の途次、山田邑の山路より此の村を過ぎ給ひて躬親ら斎き給ふ処の神なり、因りて此の山を号して神武山と云ふ。今神山と云ふは略称なり。」  (古代史の復元)

「高木神社(嘉穂郡山田町大字熊畑字政處)」
「高木神社(嘉穂郡山田町大字熊畑字政處)」

神武東征コースの地「神武山=神山( 現在の上山 )」は、鮭神社の東にある150メートル程度の山である。

 

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