「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 愛宕神社 = 景行の西征と山田

以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

景行の西征と山田

 嘉穂町宮野愛宕神社よれば、「筑紫の土蜘蛛御征伐の砌、豊前の国(京都郡)より高羽(田川郡)を悉く誅し
終わって、筑紫の粕屋郡に行幸あった時、この神天の射手を率いてその前後を護衛した
」とあり、神武帝と同様
山田足白宮野などを通過された
ことも明らかである。
 また、山田射手引神社縁起に、山田の東方に聳ゆる帝王山(摺鉢山)は景行天皇の熊襲西征の砌、天の射手を
率いて陣し給ひしところなり
といっている。

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