「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 宗像大社

  宗像大社の秋季大祭みあれ祭は、海上安全や大漁など願って行われる祭礼である。

  宗像大社の飾っている「6000年前(縄文時代)の地形」図から末盧國 と推定した。

 

<みあれ祭>

「写真」

 

<推定 松廬國>

「縄文時代の地形」

 

 福永晋三先生の『魏志倭人伝と記紀の史実-「伊都能知和岐知和岐弖」考』の資料 「 魏志倭人伝と記紀の史実 」の7ページに以下の「みあれ祭」の記述があります。

 最も有名な海上神幸の「みあれ祭」の神事が伝えられている。沖津宮の田心姫神と中津宮の湍津姫神の御神霊を載せた二隻の御座船を先頭に、宗像七浦の漁船がこぞって大島から神湊までパレードする。そうして辺津宮の市杵島姫神のところで三女神がご一緒になられる。
 宗像三女神、あるいは「道主貴(みちぬしのむち)」とは神話時代からの航海守護の神としてあまりにも有名だ。

 

<推定 松廬國>

(社記あり。その中に、)
 西海道風土記に曰はく、宗像の大神、天降りまして崎門山(さきとやま)に居給ひし時、靑蕤(あをに)の玉 一本に八尺累蕤玉とあり。 を奥津宮の表に置き、八尺瓊の紫の玉を中津宮の表に置き、八咫の鏡を邊津宮の表に置きて、この三つの表を神體(かみ)の形と成して三つの宮に納め、すなはち納隱り給ひき。
 因りて、身形(みなかた)の郡といふ。後の人改めて宗像といひき。其の大海の命の子孫は、今の宗像朝臣等なり云々。

 

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