「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 筑紫末羅県の勝門比売 = 勝門姫は『釣川』のほとりで殺された

<筑紫末羅県>

「講演時のスライド」

*.宗像他社・宮地岳神社周辺

 

<ニギタ津を出航>

「講演時のスライド」

*.ニギタ津 = 鞍手町 新北本司 

 

 2016年3月講演『初代神武天皇は田川で即位した』以降は、下記の内容に修正されています。

 肥前松浦は、神功皇后に滅ぼされた勝門姫の一族が、西に移動した後の松浦であった。田中和典さんの再発見と新発見です。田中さんの実家の糸島の宮地岳神社の祭神が勝門姫ということが判明したのです。
 仲哀天皇記は魏志倭人伝のマツロ国が最初から宗像の地である事を証明していました。肥前松浦をマツロ国に比定した説はすべて間違いとの結果が出ました。

 勝門姫は、宗像の「釣川」のほとりで殺されたようです。私の説も肥前松浦ではなく、筑紫松浦の事件と修正します。

『古事記 仲哀記』
 また筑紫の末羅の縣の玉嶌の里に
到り坐して、其の河邊に御食しし時、
當に四月の上旬なりき。
 爾くして其の河中の磯に坐して、
御裳の糸を拔き取り飯粒を以ちて
餌と爲し、其の河の年魚。
 其の河の名を小河と謂う。また
其の礒の名を勝門比賣と謂う
を釣りき。
 故、四月の上旬の時、女人裳の糸
を拔き、粒を以ちて餌と爲し、年魚
を釣ること今に至るまで絶えず
『万葉集八六九番』
帯日売 神の命 鮎釣ると
御立しせりし 石を誰見き

 こちらが、「神功天皇の征西」のページに続く、「  氣長足姫尊の豊国北伐 」のページです。