「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 高祖(たかす)神社 =『古事記』に云う「高千穂宮」

※ 2020年版 神武東征(全5回シリーズ「壱」)
 (令和二年十二月十日、豊の国古代史研究会有料配信)

 ・・・ こちらが「神武、日向から筑紫に出る

神武東征前史
筑紫宮に入る
 年四十五歳に及びて、諸の兄及び子等に謂ひて曰く、「昔我が天神高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)大日孁(おほひるめの)(みこと)、此の豐葦原瑞穗國(ことあげ)して、我が天祖(ひこ)火瓊々杵尊(ほのににぎのみこと)に授けき。
 是に、火瓊々杵尊天關(あまのいはくら)(ひきひら)き、雲路披(おしわ)け、仙蹕(みさきはらい)()ひて以ちて(いた)り止まる。是の時に、運は鴻荒(あらき)(あた)り、時は草昧(くらき)(あた)る。故、(くら)きを以ちて正しきを養ひ、此の西の(ほとり)(しら)す。
今山産石斧の流通地域図
神武東征前史
筑紫宮に入る
 瓊々杵尊を祀る神社として前原市高祖山の高祖(たかす)神社があるが、この宮がおそらく『古事記』に云う「高千穂宮」と推測される。
 貝原益軒の『続風土記』には、「中世の頃、怡土の庄一の宮として、中座に日向二代の神、彦火々出見尊を、右座に神功皇后(気長足姫)、左座に日向三代の玉依姫を祭る」と記されている。
 彦火々出見尊(瓊々杵尊)から玉依姫までの「日向三代」が祭られている以上、「日向の神武」も高祖神社に祭られていたと推測される。 
高祖(たかす)神社
高祖(たかす)神社

以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

 瓊々杵尊を祀る神社として前原市高祖山の高祖(たかす)神社があるが、この宮がおそらく『古事記』に云う
「高千穂宮」
と推測される。
 貝原益軒の『続風土記』には、
中世の頃、怡土の庄一の宮として、中座に日向二代の神、彦火々出見尊を、右座に神功皇后(気長足姫)、
左座に日向三代の玉依姫を祭る

と記されている。  (後略)

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