「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 高田(高祖神社)= 神武・東征の地(田中熊別の奉迎地)

鞍手郡誌(昭和 9 年発行版)・射手引神社社伝による神武天皇・東征の地( 東征コース  d:高田)。

以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

高田(同大分村) 田中熊別の奉迎地

 ここには、高祖神社が鎮座する。祭神は、玉依姫命、神日本磐余彦尊、登由宇気大神となっていて、数少ない
神武の祭られた神社である。
 社伝に、
当村は白河天皇の御宇応徳年間竈門山宝満山の神領となりしに依り同時宝満山を勧請し
本村の産土神と せりと言ふ

とあり、
明治元年宝満宮を高祖神社と改称し奉る
ともある。
 境内に碑があり、
此所字城林に神日本磐余彦尊の霊を勧請せり
との文字も見える。先代青栁宮司の奥方にご協力頂いた。
 なお、「古代史の復元」には次のような社伝がある。

高祖神社縁起

 「天皇は高田に進み給ひ、矢田彦の伴った田中熊別に迎えさせられ、根智山の賊打
 猿といふものを征服するため、高田の丘から熊別と椎根津彦に討伐の命令を御下し
 になりました。この霊跡に神武天皇と玉依姫を併せ祀ったのが 高祖神社である。

 

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