「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 大願寺廃寺跡(五社大明神一帯)= 大和武尊、川上梟帥討伐の地

 神武東征と江田船山古墳の主(平成27年8月1日 於:和水町中央公民館)の講演より

 日本武尊が、女装して酒宴に潜り込み川上梟帥殺した場所が、ここ大願寺廃寺跡です。日本武尊は、古遠賀湾の周辺にいた王です。

 

<大願寺廃寺跡>

「講演時のスライド」

 

日本武尊の本貫地
 小狭田彦の孫小磐削ノ御剣王日本武尊と小狭田彦の娘常磐津姫の間に生れた人である。
 父君の日本武尊に従って東征し、駿河の焼津では特に軍功があった。
 その賞として祖父景行天皇より武部ノ臣の称を頂いたほどである。
 御剣王は帰国の後『兎角に父の尊の慕わしくて、尺ノ岳及び新北尊の戦勝を祈り玉ひし地なりに尊を祭り玉ひ云々』とある。
 御剣王の御子天ノ磐代武部ノ種日子王は父に
劣らぬ武勇の人であったが、『御子磐木那賀ノ王を嘉麻の碓井の邑主となし、御子天賀那(かな)(がわ)彦ノ王新北の神主となし、御子津々賀御ノ王を舞岳(尺岳)日本武尊小狭田彦御剣王合祀の神主となし、御子玉御木ノ王を穂波の郡司となし、御子山戸部ノ王を聞(企救)の司となし、御弟羽羽戸部ノ王を高羽(田川)の主とし、御弟八ツ田大戸部ノ王を暗崎(黒崎)の村主となし玉ふ』云々とある。
(鞍手町史)
※ 臺與の時代の豊国 対 火国の争いか

 *.『 香月文書 』による畑城主香月氏の神話伝説

 

 <所在地のGoogelマップ> ・・・ ストリートビューは、「大願寺廃寺跡」案内板の所