「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


[天武天皇の吉野に関する『日本書紀』、『万葉集 27番歌』]

 天武天皇の『日本書紀 天武天皇 8年(679年)』と『万葉集 27番歌』です。

 

以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

 理實灼然なり。の「いやちこ」は、岩波体系本の頭注に、「イヤは、イヨイヨの義。チコは、チカ(近)の
音転か。効験などのすぐさま現れる意。」とある。が、文脈がまるで通らない。
 久留米大学で講演したとき聴講の方から次を教えられた。

 「大分の麦焼酎の『いいちこ』はここのイヤチコと同じだ。地元では、『もっともだ。いいことだ。』の意で
使っている。」
と。
 早速、調べてみると、大分県宇佐市の三和酒類株式会社が製造する麦焼酎の名が「いいちこ」、同社が発行する
文芸雑誌が iichiko である。
 いいちことは、大分県の方言で「いい(よい)」を強調する言葉とある。言葉としての「いいちこ」という表現は、
大分県の中でも主として北部で用いられていて、福岡県東部と合わせて「旧豊前国」の方言であることが知られ、
これもまた偶然の一致とは考えにくい。

 神武が北九州に実在した人物であるとき、古代北九州方言の「いやちこ」の意味は約二千年の時を隔てて、現在の
大分の焼酎の名「いいちこ」に正確に伝えられていたのである。
 したがって、神武の皇子たちは、東征のお考えはよいこと(もっとも)だ。と同意したのであり、実にすっきり
した文脈になる。これを疑う余地はない。