「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 「邪馬臺(台)」の読みは、「やまと」

※ 邪馬台国研究 戦後の諸問題2
 (令和二年霜月二三日収録、豊の国古代史研究会有料配信)より

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・「夜摩」の読みは、「やま」:(景行天皇紀十七年)
・「興産靈 此云許語武須毘」は、割注に「」の読みは「」とある :(日本書紀 巻一 第七段 一書第三)
・「野馬能國遠」の「」の読みは、「」:(続日本後紀)

 『万葉集』、『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』、『続日本後紀』は、万葉仮名で書かれている。万葉
仮名は、『万葉集』だけのものではない。『魏志倭人伝』でも魏の使者が来た国は、と書かれている。の訓は、
ヤマト」と読む。
 したがって、 邪馬を「ヤマタイと読んではいけない。「ヤマト」と読む。

『魏志倭人伝』の「倭」の記述より  

■ 地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里

 ・・・ ((やまと)の地を訪問すると・・・) ⇒   女王卑弥呼の国は、「ヤマトノクニ」  

■ 制詔親魏王卑彌呼

 

 <日本書紀の万葉仮名「()」> ・・・ 夜摩(やま)()

万葉仮名「」(日本書紀)
 景行天皇十七年
憶京都而歌之曰
波辭枳豫辭(はしきよし) 和藝幣能伽多由 (わぎへのかたゆ) 區毛(くも)
位多知區暮(ゐたちくも) 夜摩(やま)()(() 區珥能摩倍(くにのまほ)
邏摩(らま) ()々儺豆久(たなづく) 阿鳥伽枳(あをかき) 夜摩(やま)
許莽例屢(こもれる) 夜摩(やま)()之于屢破試(しうるはし) 異能(いの)
知能(ちの) 摩曾祁務比(まそけむひ)()() 多々瀰許莽(たたみこも) 
弊愚利能夜摩能(へぐりのやまの) 志邏伽之餓延塢(しらかしがへを) 
于受珥左勢(うずにさせ) 許能固(このこ)
是謂思邦歌也
」の音は、「タイ」であるが、日本
書紀の万葉仮名では、「」と使ってい
る。

 

 <続日本後紀の万葉仮名「()」> ・・・ 日本乃(ひのもとの) 野馬(やま)()能國遠(のくにを)

万葉仮名「」(続日本後紀)
 仁明天皇 嘉祥二年(849年)
庚辰 興福寺大法師等爲奉賀天皇寳
算滿于 ・・・
副之長歌奉獻 其長歌詞曰
ヤマト
ヤマ タイ

クニ
日 本  野 馬  國  ・・・

(京都大学附属図書館所蔵 平松文庫『続日本後紀』の一部)
となっているが、万葉集の長歌であり、五七
五七調で読むので、現代の学者は、明らかに
「ヒノモトノ ・・・」と読む。
(五)
(七)
ヒノモト
ヤマ ト
クニ
日 本  野 馬  國  ・・・

 平安時代のお坊さんが、万葉仮名「」を
」の音仮名で使っている。

 

 <日本書紀の万葉仮名「()」> ・・・ (こご)()産霊(むすひ)

万葉仮名「」(日本書紀)
 神代上 第七段
至於日神 閉居于天石窟也 諸
神遺中臣連遠祖(こご)()產靈(むすひ)兒天兒
屋命 而使祈焉
 日神(ひのかみ)の、天石窟(あまのいはや)(こも)(いま)すに至
りて、(もろもろ)(かみたち)中臣連(なかとみのむらじ)遠祖(とほつおや)
(こご)()産霊(むすひ)(みこ) 天児屋命(  あまのこやねのみこと)(まだ)して
()ましむ。
」の音を、日本書紀で「」と
使って いる例。

 

(台)

(苔)

 

  福永晋三先生のタイトル「邪馬國こそなかった -九州王朝論再構築に向けて-」の資料 「 26邪馬壹國こそなかった 
 の12ページに下記の記述があります。
 

 万葉仮名「」の調査結果がある。  (中略)
 底本(卜部兼右本二十八巻)でも「」がそのまま用いられているのは、景行天皇紀の二二番歌謡だけで
ある。  

夜摩波、區珥能摩保邏摩、多々儺豆久、阿烏伽枳、夜摩許莽例屢、夜摩之于屢破試。
 倭は   國のまほらま  疊づく   靑垣   山籠れる   倭し麗し  

 「」は漢タイ、平声(上)十「灰(-ai)」の韻である。 「」および略字「」と同じ韻である。これが、
かの有名な歌謡において、「と乙類」の仮名として用いられていることから、「」にも-oと-aiの母音交替を
予測したのである。
 三世紀の「邪馬」に「呉音の古層」として「ヤマト」のよみがある可能性を予測したのである。
 

 次に『続日本後紀』卷十九嘉祥二年(八四九)三月庚辰(廿六)、興福寺大法師等が仁明天皇が四十歳に
なったのを祝賀して、観音菩薩像四十体を作り、『金剛寿命陀羅尼経』四十巻を写し、四万八千巻を転読
した。
 さらに様々な吉祥の像を贈り、長歌を副えて献上した。

其長歌詞曰、 日本乃、野馬臺能國遠 、 (後略)

 上の「日本の野馬の國を」を、二〇一〇年当時群馬大学名誉教授の森田悌氏は、講談社学術文庫『続日本
後紀
』において「ひのもとの やまとのくにを」と訓読されている。
 「」が「」とよまれている。八四九年の仏教界においてもなお、「」は万葉仮名「」として用いら
れていたようだ。