「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


[饒速日の系譜]

※ 物部氏と天皇家の系譜(2020年版 神武東征 陸 より)

  

  物部氏(天孫本紀)

河内物部氏

海部/尾張氏

 天皇家 

初代

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊       亦名 天火明命

瓊々杵尊

一世

天香語山命

宇摩志麻治命

宇摩志麻治命

天香語山命

彦火火出見命

二世

天村雲命

味饒田命

味饒田命

天村雲命

鸕鷀草葺不合尊

三世

天忍人命

大彌命

大彌命

天忍人命

①神武

四世

瀛津世襲命

大木食命

大木食命

天登目命

②綏靖

五世

建箇草命

鬱色雄命

鬱色雄命

建登米命

③安寧④懿徳⑤孝昭

六世

建田背命

武建大尼命

武建大尼命

建宇那比命

⑥孝安

七世

建諸隅命

建膽心大彌命

建膽心大彌命

建諸隅命

⑦孝霊⑧孝元

八世

倭得玉彦命

物部武諸隅連公

物部武諸隅命

日本得魂命

⑨開化

九世
  

弟彦命(妹は
日女命

物部多遅麻連公
  

  
  

弟彦命
  

⑩崇神卑弥呼
  

十世

淡夜別命

物部印葉連公

  

平縫命

⑪垂仁

十一世

乎止與命

物部真椋連公

  

小登与命

⑫景行臺與

※『先代旧事本紀』卷五「天孫本紀」所載、尾張氏系譜

 

 以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

 先ず、饒速日命と神武は同時代の人間ではない。長髓彦も饒速日命の義弟に当たるから彼も神武と同時代の人間ではない。
   (中略)

 天孫本紀に記された饒速日の系譜は、大きくは天香語山命宇摩志麻治命の兄弟の二系統に分かれる(表参照)。
 それぞれの世代ごとに同世代の一族の動向が記されていて、例えば、宇摩志麻治命の系譜には「神宮を斎き奉る」という記述が頻出する。
 

 また、物部兄弟の系譜からは、天皇の妃に入る者が多く見られ、神武に帰順した物部氏は天皇家の外戚となっていったようである。
 第四世の瀛津世襲命の妹の世襲足姫命が、孝昭天皇の皇后となり孝安天皇を生んでいる。第五世の欝色雄命の妹の欝色謎命は孝元天皇の妃となり、欝色謎命が生んだ御子が開化天皇である。
 第六世の武建大尼命の同時代に伊香色雄命がいる。姉の伊香色謎命が孝元天皇・開化天皇の妃となっている。伊香色謎命と開化天皇との間の皇子が崇神天皇であると記されている。

 表の天皇家の系譜は、これらの記述に沿って天孫本紀にほぼ合うようにしたものである。ただ、天孫本紀の系譜は複雑に書かれていて、随所に物部氏の世代と天皇とが相前後し、相当の齟齬をきたしているので、今後の課題として保留すべき点が多いことを記しておく。

 本題に帰って、神武は物部氏の系譜のどの代に東征したのだろうか。饒速日の代でないことはおよそ明らかだ。
 天孫本紀では宇摩志麻治命が瑞玉を差し出して神武に帰順しているが、英彦山神社の由緒に「神倭磐余彦天皇日向皇居の時勅使天村雲命を日子の山に遣はさ皇祖天忍骨尊を祭らせ給ふに始まり」とあり、内容は直ちには信じらないが、少なくとも神武東征前に第二世天村雲命が倭奴国王として存在していた形跡が認められるから、第一世宇摩志麻治命の帰順も矛盾する。
 それでは、紀元一一八年に神武に倒された倭奴国王は誰か。それを推測させ得るのが、海部・尾張氏系図である。
 

 京都府宮津市籠神社に伝わる『勘注系図』海部氏系図と、『先代旧事本紀』尾張氏系図は、十三世孫とされる
尾綱根命まで、ほぼ同じである。
 河内物部氏が宇摩志麻治命の系譜をそのまま写したかのような系譜であるのに対し、海部・尾張氏系譜は一見、
天香語山命の系譜を写したような感じを与えるが、第四世の瀛津世襲命のところが天登目命となっている。
 この違いに、神武東征の史実が横たわっていると推察される。
 

 すなわち、第三世天忍人命と弟天忍男命が神武に倒された倭奴国最後の王と考えられる。倭奴国を脱出したのが天登目命ではないか。
 倭奴国に留まって帰順したのが、第四世の瀛津世襲命ではなかろうか。先に妹の世襲足姫命が、孝昭天皇の皇后となり孝安天皇を生んでいることを挙げた。兄妹の名に共通する「世襲」の意味するところ深長である。
 倭奴国の天神の系譜を「世襲」した寓意であろうか。
 

 神武東征時の倭奴国の最後の王が天忍人命と考える時、下文において、神武は事代主神が三嶋溝橛耳神の女の玉櫛媛との間に儲けた媛蹈鞴五十鈴媛命を正妃に迎えるが、天孫本紀と対照すると、第四世瀛津世襲命の妹の世襲足姫命を妃としたのは実は神武ではなかったかと思われるのである。
 いわゆる「欠史八代」の天皇の系譜の方が却って怪しい。