「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 阿曽隈社(地元では上権様)= 菟道稚郎子(宇治天皇)⇒ 「宇治京」跡/天智天皇の菟道宮

[『播磨國風土記』には、「宇治天皇のみ世」の記述がある]

 太子菟道稚郎子の即位を消そうとした、日本書紀のイデオロギーから漏れた記録が『播磨国風土』の揖保郡の
条に残されている。

 福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 真実の人徳天皇-香具山に登りて望國
 したまふ天皇
」の資料「 宇治の京 村高完成版 」の1ページの抜粋です。

『播磨国 風土記』の揖保郡の条

『播磨国風土記』
  揖保郡の条
 上筥岡・下筥岡・魚戸津(なへつ)
・朸田(あふこだ)宇治天皇のみ世
宇治連等が遠祖、兄太加奈志・弟
太加奈志の二人、大田の村の與富
等の地を請ひて、田を墾り蒔かむ
と来る時、廝人(つかひびと)、朸を以
ちて、食(をしもの)の具等(うつはども)
の物を荷ひき。
 是に、朸折れて荷落ちき。
 所以に、奈閇なべ落ちし處は、
即ち魚戸津と號け、前の筥落ちし
處は、即ち上筥岡と名づけ、後の
筥落ちし處は、即ち下筥岡と曰ひ
、荷の朸落ちし處は、即ち朸田と
曰ふ。

 

『岩波大系本の頭注』の「宇治天皇之世」について

「宇治天皇之世」について  
岩波大系本の頭注
 応神天皇の皇太子菟道稚郎子
皇子。記紀には、帝位を御兄
(仁徳天皇)に譲って即位せら
れなかったとあるが、ここに天
皇とあるのは、日本書紀によっ
て天皇の御歴代が確定する以前
の称によったもの
である。
 天皇とするからその「み世
という言い方が出来るのである。

※ 宇治天皇之世は歴史事実として存在したのである。