「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 天孫降臨 = 宮地嶽神社付近が、天孫降臨の地(日向)と推定

※ 筑豊の古代 天孫降臨と神武東征
 (平成二九年四月二八日(金) NICOオープニングパーティ ミニ講話より

天孫降臨(その1)

 『古事記』、『日本書紀』の初めに天孫降臨という事件がある。ニニギ尊が、豊国に侵略してきたことを
『古事記』の中では、天孫降臨と云っている。

 その降臨の場所を特定した。嵐の出演しているJALのCMで  宮地嶽神社 から望む夕日を見た瞬間にここが
夕日之日照国だと思った。

 実際に宮地嶽神社に行くと裏山で東の方角、朝日を拝む遥拝所がちゃんとある

左:宮地嶽神社から臨む(夕日

下:宮地嶽神社裏山の遙拝所(朝日

 

 地図で見れば解るように宮地嶽神社の所は、韓国に向かっている。

 沖の島 

 神湊 

「此地者、向韓国眞來(牧?)通、笠紗之御前而、
 朝日之直刺国夕日之日照国也。故、此地甚吉地」

 

 

天孫降臨(その2)

 天孫降臨の地は、『古事記』、『日本書紀』ともに「日向の高千穂の久士布流多気」に降臨したという事に
なっている。

 が、ここでは、天孫降臨の地を日向國風土記逸文から採った。そこに書かれている日向の高千穂の二上峯
福津市にある  対馬見山 に見出した。
 対馬見山が、嘉麻市にある馬見山の語源だと思われる。

 

 

天孫降臨(その3)

 「眞來通」については、宗像の土地には、地図に示しているように南側から宮地嶽神社対馬見山(高千穂)
宗像大社、一番に北に神湊がある。

 神湊の沖には、勝島という島がある。さらに勝浦という地名もある。ここには、後の時代には、勝門比売という
女酋長がいた土地である。

 天孫降臨の地である日向は、文献と実際の地形からここ宗像周辺であることが解る。

 神湊 

 勝島 

 勝浦 

※ 宮地嶽神社付近が、天孫降臨の地(日向)と推定

「此地者、向韓國眞來通笠紗之御前而、朝日之
 直刺國
夕日之日照國也。故、此地甚吉地。」
 詔而、於底津石根宮柱布斗斯理、於高天原氷椽
 多迦斯理而坐也

 

 

天孫降臨(その4)

 また、「眞來通関して、  勝島に牧神社 がある。

 『筑前國続風土記』の中に「俗説には神代のなり」とあり、は、天孫降臨の時代には、福岡・筑豊の
土地にすでに牧場があったという事である。

 『筑前國續風土記附録』の中にも牧大明神が出てくる。宗像一帯にも岡垣町辺りにも牧神社がある。また、
飯塚市の   鹿毛馬神籠石 の中にも牧神社がある。

 勝島の牧神社の位置は、天孫降臨の土地の北側に当るから正に「向韓國眞來通」になっている「笠紗之御前」
いう地名だけ無く、5つの条件の内、4つが一致する。
 ここ宗像周辺にニニギ尊が降臨したと『古事記』、『日本書紀』に書いている。その土地を実際に見つけ出した
だけである。

)尚、もう一つの天孫降臨(天神降臨)の饒速日尊、さらにその後の神武東征の内容につきましては、他の講演で
  既に掲載していますページをご参照下さい。