「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 朝妻の曲水の宴跡(駐車場にされてしまった)=「賢宗紀」にある曲水の宴跡?

以下、『新説日本書紀(第28回)継体天皇(2022年11月18日)』講座動画の画像より

  新説 日本書紀「第28回 継体天皇 年号を初めて建てた天皇」(3/4)の動画内で説明されて
   います。 こちら から動画をご視聴頂けます。

 久留米市朝妻

「写真」

 曲水の宴跡・発掘現場

「写真」

 埋められて駐車場にされた

「写真」

 Ⓒ泉城の古代日記「曲水の宴」跡

 福永晋三先生のタイトル『東西五月行(統一倭国)の成立』の「 資料:東西五月行の成立 」の24ページ
 東西の皇都に『 賢宗紀の三次の「曲水の宴」で「天子」は「倭王武」、開催場所は朝妻町曲水の宴遺跡では
 ないかと推測している。
』の記述があります。

 倭王武(倭が武、倭武天皇)の御代に久留米市朝妻の宮殿で曲水の宴が開かれ、 ムリテ (江田船山古墳の主の
一人)は侍臣の一人として参加したかも知れない。

 

以下、『越境としての古代[6]』の「もう一系の太陽神(にぎはやひ) 本野嗣郎」より引用

 久留米市朝妻町(旧御井町字朝妻)の「曲水の宴」跡で、「庭園遺水」は味水御井神社境内から湧出する
「朝妻の清水」から導かれているとのこと。

 

『古今和歌集 真名序』の「万葉集」/『日本書紀 賢宗紀』に「曲水の宴」の記述

(古今和歌集 真名序)
 昔、平城の天子、侍臣に詔して
万葉集を撰ばしむ。
 昔平城天子、詔侍臣令撰万葉集
 古の天子、良辰美景ごとに、
侍臣の宴筵に預金る者に詔して
和歌を献らしむ。
 古天子、毎良辰美景、詔侍臣預
宴筵者献和歌
(日本書紀 顕宗紀)
 二年(四八六)の春三月の上巳
に後苑に幸して、曲水の宴きこし
めす。是の時に、(ねむごろ)に公卿大夫・
臣・連・国造・伴造を集へて、宴
したまふ。群臣、頻に万歳を称ふ。
 二年春三月上巳、幸後苑曲水宴
是時、喜集公卿大夫・臣連國造伴
造、爲宴、群臣頻稱萬歲。

*.顕宗天皇二年 = 四八六年

 

*.「倭の五王(讃・珍・済・興・武)」については、『紀氏王権の成立』のページに『 松野連 姫(き)氏 系図 』も
 あります。

 

<所在地マップ> ・・・ 所在地は、「朝妻」で示しています。

地図「久留米市朝妻町」