「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 ビワノクマ古墳 =「琵琶の海の隅」の地名

 九州王朝にあった宮からの海:近江、また遠江。行橋市の所は、琵琶の形をした入江(湾)になっていた隅の
位置で、ビワクマ。

*.当時は海に面した土地であろう地図(Flood Mapsの海面上昇(7m)地図)は、  こちら 

※ 九州説」として、(いさな)取りの海に面している場所。近江(おうみ)=遠賀湾または、行橋の入江(琵琶の海)
 『万葉集 153番歌』 ・・・ いさなとり=くじらとり は、海の枕詞

「画像(万葉集一五三番)」

(意訳)
  近江の海、この海を、沖辺はるかに漕いで来る舟よ、岸辺に沿うて漕いで来る舟よ、沖の櫂もやたらに撥ねて
 くれるな、岸の櫂もやたらに撥ねてくれるな。我が夫の思いのこもる鳥、その御魂の鳥が驚いて飛び立って
 しまうから。

 

『倭国(豊国)北伐考  壬申の乱 (最後の豊国北伐)』より

※ 『萬葉集 153番歌』の「鯨取り 淡海の・・・」は、勝手は「古遠賀湾」が存在したとする証拠の歌であり、
 尚、この歌も天智天皇が亡くなった後の歌とされる「大后(倭姫王)」の読んだ歌である。
   古遠賀湾 が、近つ淡海だという事が『萬葉集』、『古事記』、『日本書紀』を通じてこのように重大な歴史事実に
 ぶち当たると誰が想像しましたか?
  天智天皇は病死ではなく、「壬申の乱」で大海人皇子(後の天武天皇)と直接争って敗れた結果、織幡神社の先の
 「鐘の岬」の所で飛び降り自殺をした。
  だから、この歌は、皇后がその場所にいる鳥をみて、ここにある夫天智天皇の魂と思ったからそこに船が漕いで
 くるのを見て、水を撥ね上げにでくれ。鳥を飛び立たせないでくれとの思いを詠った歌であろう。

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