「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 黒田神社 = 孝霊天皇の「黑田の廬戸(いおと)の宮」、用明天皇の池邊雙槻宮(いけのべのなみつきのみや)

※ 古事記を読む-神武から景行まで(平成28年9月25日、於 添田町町民会館)の講演より

『古事記 孝霊天皇記』

 大倭根子日子賦斗邇の命、黑田の廬戸の宮に坐しまして天の下治し
めしき。

 

※ 聖徳太子の正体 蘇我氏は「みやこ」にいた
  (平成29年6月3日 みやこ町歴史民俗博物館。4 日 嘉麻市NICO)の講演より

橘豐日天皇、天國排開廣庭天皇第四子也、母曰堅鹽媛。天皇信佛法尊神道。
十四年秋八月、渟中倉太珠敷天皇崩。
九月甲寅朔戊午、天皇卽天皇位。宮於磐余、名曰池邊雙槻宮。
以蘇我馬子宿禰爲大臣、
物部弓削守屋連爲大連、並如故。壬申、詔曰、云々。

 「天皇仏法を信ず」で用明紀は始まる。
 池邊雙槻宮は探索中。ただし、みやこ町歴史民俗博物館の学芸員の方に案内されて、勝山地区北部の勝山
池田の地に「古代の池」跡を教えていただいたので、勝山黒田にある黒田神社が池邊雙槻宮跡ではないかと
思われる。
 蘇我馬子は大臣、物部守屋は大連と故のとおりである。

「写真(黒田神社)」

 

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