※ 福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 鷦鷯(さざき)取らさね -蔽い隠された
皇位継承戦争の悲劇-」の資料「 鷦鷯取らさね 」の5ページに『皇后が御綱柏(みつなかしは)を投げ捨てたことに
よって付いた地名、書紀は「葉濟(かしはのわたり)」、古事記は、「御津前(みつのさき)」である。名は違っても
場所同じである。』の記述があります。
日本書紀の記述の「熊野岬(くまののみさき)」は、古遠賀湾の今日の飯塚市立岩遺跡直近の 熊野神社 の南端辺り
となる。
また、古事記の記述の「堀江に泝り」から推測すると、現在の今川の辺に「崎野神社」が見える。そこから南の
方にある「 流末 」と「崎野神社」の間を真っ直ぐ北に流れる今川こそが、仁徳紀に書かれた「堀江」と思われる
ので、「崎野神社」の辺りが「御津前」と考えられる。