赤村教育委員会が平成元年に発向した「赤村 史・誌資料」にもいくつかの古伝承が残されている。そのうち、次の我鹿屯倉跡が赤村に伝わる。
太宰管内志に曰く 安閑天皇(人皇第二七代)紀に2年5月丙子朔 豊国我鹿屯倉を置く(我鹿此を阿柯と云)とあり 名義未だ考えす 田川郡に 上赤 下赤二村あり 山中なれども田地広き処なり云々 此の御代に 此の屯倉守等 屯倉守護神として斎き祭りし 豊宇気姫命は 今 我鹿八幡神社内に座せり、屯倉の跡は 字常光に在り。
安閑天皇紀の我鹿屯倉の故事が事実と認められるなら、景行天皇の故事、神武天皇の故事と遡ることに不思議は無く、「 吾勝野 」の地名も疑いようがない。
「赤村」と「津野村(中心部は油木ダムの底か)」は現在も確かに「南北に連なって狭く長い」のである。現地伝承はここでも記紀の記事を補うのである。
(*)油木ダムは、 添田町 に示しています。