「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 赤村(阿柯:上赤と下赤)=「飛ぶ鳥の明日香」の地

正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命の 豊国北伐 
  (倭国(豊国)北伐考(平成28年3月21日、於 久留米大学)講演より)

正勝吾勝勝速日天之
  忍穗耳命の豊国北伐
 速須佐之男の命、天照大御神の
左の御美豆良に纏ける八尺の勾璁
の五百津の美須麻流の珠を乞い度
して、奴那登母母由良爾、天之眞
名井に振り滌ぎて、佐賀美邇迦美
て、吹き棄つる氣吹の狹霧に成れ
る神の御名は、正勝(まさかつ)吾勝(あかつ)勝速日(かちはやひ)(あめ)
()忍穗耳(おしほみみ)
の命。
(古事記)
饒速日尊(天照大神)の父。
日本書紀では忍穗耳命が天神でも
ある。

*1  吾勝野(上:津野、下:阿柯)

『田川産業経済大鑑』のPage.373~375は下記の『越境としての古代[6]』「神武は、筑豊に東征した」の引用を参照下さい。

*2  豊国我鹿屯倉/我鹿八幡神社

『赤村史・誌資料』の「太宰管内志」は 字常光 のページ。
『越境としての古代[6]』「神武は、筑豊に東征した」の引用を掲載していますので参照下さい。
 尚、我鹿八幡神社が、300年前まであった場所には、現在、光明八幡神社がある。その場所が、 字岡本 であり、飛ぶ鳥の明日香の「飛鳥岡本の宮」の地である。

*3  天之忍穗耳命は、 英彦山 を下り、最終的に 香春岳 に行った。

 

 福永晋三先生の著書『倭歌が解き明かす古代史 真実の仁徳天皇』の 「Ⅱ飛ぶ鳥の明日香』の中の「赤村の歴史・古伝承」の項に

  吾勝野( 岩石山 の東麓一帯の野)----- 津野
                   |
                   ---- 阿柯 ---- 上赤
                           |
                           ---- 下赤

の記述があります。

 

以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

 失われた古縁起により、神武は「遂に 狭野 を超ゆ」の後、彦山川に沿って、 天香山 を先ず攻撃し奪取したことを確認できたのである。

 赤村は、もと上赤、下赤、山浦、大内田、小内田といった5カ村を合併したもので、上赤、下赤、本村はかつて吾勝野といっていた。
 太古において吾かつ山上(現在の岩石山)に天祖吾勝尊が天降ったということから起因して、この山の東麓一帯を吾勝野と称したのである。
 それが景行天皇の時、田河の川上にいた土蜘蛛麻剥の残賊を誅滅の後、この山上の吾勝尊の神社に奉賽されて遠く東麓を望みこの麓は沃土南北連なって狭く長いため、自今二村を形成するのがよかろうといわれたので、これより上を津野といい下を阿柯と称した。
 のち阿柯を上赤、下赤の二村に分けた。

 (田川産業経済大鑑,p三七三~三七五)

 

■ 万葉集の「飛ぶ鳥の明日香の・・・」の枕詞

*.

 枕詞:飛ぶ鳥の明日香 ⇒ 「飛鳥(あすか)」と言うように、長谷(ながたに)の初瀬 ⇒ 「長谷(はせ)」、()(もと)の草香 ⇒「日下(くさか)」と言うようになった。

 

『日本書紀』「神武紀 戊午年 六月」の記述

「画像(神武天皇紀)」

*.神武天皇の東征時に道案内をした求菩堤山の八咫烏が褒美で貰った土地が、飛ぶ鳥の明日香の地。

*.(カラス) ⇒ 飛ぶ鳥は、カラス。カラスの鳴き声:「アー」⇒「あすか」。カラスは、太陽神。

*.

 古今和歌集(九三三)は、 飛鳥川 を詠んだ歌で、実景描写の川。飛鳥川の場所が、飛鳥の地であり、そこが赤村である。

 

 福永晋三先生のタイトル「邪馬臺国の位置と年表」の資料「 邪馬臺国の位置と年表改訂版 」の8ページに『121年 邪馬台国創始。二月、論功行賞。頭八咫烏、亦賞の例に入る。  求菩提山  英彦山 から川水系に沿って、今日の田川郡赤村より  烏尾峠 辺りまでの「飛ぶ鳥の明日香」の地の領有を認められたしい。』の記述があります。