「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
■ 正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命の 豊国北伐
(倭国(豊国)北伐考(平成28年3月21日、於 久留米大学)講演より)
*1 吾勝野(上:津野、下:阿柯)
『田川産業経済大鑑』のPage.373~375は下記の『越境としての古代[6]』「神武は、筑豊に東征した」の引用を参照下さい。
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福永晋三先生の著書『倭歌が解き明かす古代史 真実の仁徳天皇』の 「Ⅱ飛ぶ鳥の明日香』の中の「赤村の歴史・古伝承」の項に
吾勝野( 岩石山 の東麓一帯の野)----- 津野
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---- 阿柯 ---- 上赤
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---- 下赤
の記述があります。
以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より
赤村は、もと上赤、下赤、山浦、大内田、小内田といった5カ村を合併したもので、上赤、下赤、本村はかつて吾勝野といっていた。
太古において吾かつ山上(現在の岩石山)に天祖吾勝尊が天降ったということから起因して、この山の東麓一帯を吾勝野と称したのである。
それが景行天皇の時、田河の川上にいた土蜘蛛麻剥の残賊を誅滅の後、この山上の吾勝尊の神社に奉賽されて遠く東麓を望みこの麓は沃土南北連なって狭く長いため、自今二村を形成するのがよかろうといわれたので、これより上を津野といい下を阿柯と称した。
のち阿柯を上赤、下赤の二村に分けた。
(田川産業経済大鑑,p三七三~三七五)
■ 万葉集の「飛ぶ鳥の明日香の・・・」の枕詞
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枕詞:飛ぶ鳥の明日香 ⇒ 「飛鳥」と言うように、長谷の初瀬 ⇒ 「長谷」、日の下の草香 ⇒「日下」と言うようになった。
■ 『日本書紀』「神武紀 戊午年 六月」の記述
*.神武天皇の東征時に道案内をした求菩堤山の八咫烏が褒美で貰った土地が、飛ぶ鳥の明日香の地。
*.烏 ⇒ 飛ぶ鳥は、カラス。カラスの鳴き声:「アー」⇒「あすか」。カラスは、太陽神。
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古今和歌集(九三三)は、 飛鳥川 を詠んだ歌で、実景描写の川。飛鳥川の場所が、飛鳥の地であり、そこが赤村である。
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福永晋三先生のタイトル「邪馬臺国の位置と年表」の資料「 邪馬臺国の位置と年表改訂版 」の8ページに『121年 邪馬台国創始。二月、論功行賞。頭八咫烏、亦賞の例に入る。 求菩提山 ・ 英彦山 から川水系に沿って、今日の田川郡赤村より 烏尾峠 辺りまでの「飛ぶ鳥の明日香」の地の領有を認められたしい。』の記述があります。