「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 玉島神社/玉島川 = 神功皇后の鮎釣り伝説

 福永晋三先生のタイトル『東西五月行(統一倭国)の成立』の「 資料:東西五月行の成立 」の18ページ鯷倭(しわ)の興亡に「神功天皇(神功皇后) の征西」に「松浦鼎の熊襲を滅ぼす」の記述がありますが、

 2016年3月講演『初代神武天皇は田川で即位した』以降は、下記の内容に修正されています。

 肥前松浦は、神功皇后に滅ぼされた勝門姫の一族が、西に移動した後の松浦であった。田中和典さんの再発見と新発見です。田中さんの実家の糸島の宮地岳神社の祭神が勝門姫ということが判明したのです。
 仲哀天皇記は魏志倭人伝のマツロ国が最初から宗像の地である事を証明していました。肥前松浦をマツロ国に比定した説はすべて間違いとの結果が出ました。

 勝門姫は、宗像の「 釣川 」のほとりで殺されたようです。私の説も肥前松浦ではなく、筑紫松浦の事件と修正します。

『古事記 仲哀記(神功皇后の新羅征討』

*.『古事記』では「筑紫の末羅縣」とあるが、それが『日本書紀』では、
 「火前國の松浦縣」に変わっている。

 

神功皇后のことを詠った歌が、『万葉集 869番歌』

 

<神后御立石>

*.「帯日売神の命の鮎釣ると御立しせりし石を誰見き」と8世紀の歌人、山上憶良が
 詠ったように「誰もみていない」石であり、ここにあってはいけない石である。

 

『日本書紀 神功紀(太歳辛巳年 = 摂政元年の前年)』

 

 <所在地のGoogelマップ>