「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 香春岳 = 倭三山(やまとさんざん)、美和(三輪・御諸)山 ⇒ 畝尾山・耳成山・天香山

[三輪山(美和山、御諸山)は、三連山の香春岳(3つの円錐形の伝説より)]

 以下、福永晋三先生のタイトル『万葉集の軌跡「綜麻形」考』の資料「 へそがた考 」2ページより引用。

 糸が円錐状に巻かれたものが「綜麻」であるなら、「綜麻形」は「円錐形」「三角形」の意味であり、古事記の
伝説と合わせても、三勾の円錐形」の山だからこそ「三輪山」と呼ぶ のであって、それ以外の何物でもない。

 『万葉集 一九番歌』の左注、いわゆる今案注が興味深い。筆者が、二番「天の香具山」長歌の反歌と考察した
一五番「豊旗雲」歌の今案注と同じ構文である。
 つまり、菅原道真公の云う「字対雑糅」の例にほかならない。そうすると、一九番歌は、「三輪山」の語が
直接にはないが、「三輪山」の歌であり、最低でも三輪山に関連する歌であることになる。

 

■ 『万葉集 一九番歌』 三輪山の歌

【解釈】
  三勾の綜麻形(三角形・円錐形)をした
 三輪山、その林の先の狭野榛のハリではない
 が、針が着物に着いて三輪山の神の社におわ
 したことが知れたというあの 大物主大神 
 ように、私にはどこにいても目につく麗しく
 愛しいあなたであるよ。
 右の一首の歌は、今案ふるに、和せし歌に
 似ず。但し、旧本この次に載す。故に以て
 猶しここに載せたり。
綜麻(へそ)かたの 林の前(さき)
さ野棒(のはり)の 衣(きむ)に付くなす
目につくわが背
 右一首歌今案不似和歌
 但舊本載于此次 故以猶載焉
綜麻形乃 林始乃 狭野榛能 
衣尓著成 目尓都久和我勢
万葉集 一九

 

■ 『古事記 崇神記』 三輪山伝説

 この意富多多泥古と謂ふ人を、神の子と知れ
る所以は、上に云へる活玉依毘賣、その容姿端
正しくありき。ここに壯夫ありて、その形姿
威儀、時に比無きが、夜半の時に儵忽到來つ。
故、相感でて、共婚ひして共住る間に、未だ幾
時もあらねば、その美人妊身みぬ。ここに父母
その妊身みし事を恠しみて、その女に問ひて曰
ひけらく、「汝は自ら妊みぬ。夫無きに何由か
妊身める。」といへば、答へて曰ひけらく、麗
美しき壯夫ありて、その姓名も知らぬが、夕毎
に到來て共住める間に、自然懐妊みぬ。」とい
ひき。ここをもちてその父母、その人を知らむ
と欲ひて、その女に誨へて曰ひけらく、「赤土
を床の前に散らし、卷子紡麻を針に貫きて、そ
の衣の襴に刺せ。」といひき。故、教への如く
して旦時に見れば、針著けし麻は、戸の鉤穴よ
り控き通りて出でて、ただ遺れる麻は三勾(みわ)
のみなりき。ここにすなはち鉤穴より出でし狀
を知りて、糸の從に尋ね行けば、美和山に至り
て神の社に留まりき。故、その神の子とは知り
ぬ。故、その麻の三勾遺りしによりて、其地を
名づけて美和と謂ふなり。
三輪山伝説

 

<以下、『へそがた考』の2~3ページより>

 万葉歌や三輪山伝説が実景描写であるなら、現実に日本国の地上に単純に「三輪の円錐形の山」があるはず
 なのである。

■ 豊前国風土記の三峯の山

   三輪山の名にふさわしい山が福岡県田川郡香春町にある。香春岳である。南から一ノ岳(315m、かつては
 491m)・二ノ岳(470m)・三ノ岳(511m)と続く。
  『豊前国風土記』逸文(宇佐宮託宣集)に記事があり、

  「新羅の国の神、自ら渡り到来りて、此の河原に住みき。即ち、名づけて鹿春の神と曰ふ。又、郷の北に峰あり。
 頂に沼有り。」

 と記され、古代から香春岳そのものが神として奉祀されてきた。
  記事は、第二の峯・第三の峯と続く。古代の一ノ岳の頂上に沼のあったことは、紡錘車の頂の穴を連想させ、
 古代人の的確な描写を実感できる。この山こそ、大物主大神のます三輪山であったことは言を待たない。
   奈良県の三輪山は移動した地名でしかない。一輪の山である。

 豐前國風土記に曰はく、田河の郡、
鹿春の鄕、 郡の東北にあり。 この鄕の
中に河あり。年魚あり。その源は、
郡の東北なる杉坂山より出で、直ち
に正西を指して流れ下り、眞漏河に
添ひ會へり。この河の瀨淸浄し。因
りて、淸河原の村と號く。
 今、鹿春の郷といふは訛れるなり。
昔者、新羅の國の神、自ら度り到來
りてこの川原に住みき。すなはち名
を鹿春の神といひき。又、鄕の北に
峯あり。頂きに沼あり。潤さ三十六歩
許あり。
(また)、龍の骨あり。第
二の峯には銅と黄楊と龍の骨あり。
第三の峯には、龍の骨あり。
『豐前國 風土記』
  「鹿春(かはる)の神」