「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 香春岳 = 倭三山(やまとさんざん)、美和(三輪・御諸)山 ⇒ 畝尾山・耳成山・天香山

  香春岳 が倭三山であり、香春岳 一ノ岳=畝尾山、香春岳 二ノ岳=耳成山、香春岳 三ノ岳=天香山。

「昭和十年の写真」

 香春三ノ岳(本物の天香山)からは、金も銅も採れる。自然金が、
 三ノ岳の横鶴鉱山から採掘された。

「削られた香春一ノ岳」

    

 

 三輪山 の伝説 (縦書きのページは、 こちら です。)

 三輪山は、綜麻形(紡いだ糸を環状に幾重にも巻いたもので円錐形の形)の3連山から名付けられたと考えられる事から
香春岳を比定している。
 『古事記 大国主神』の中に「 倭(やまと)の青垣の東の山 」すなわち「御諸(みは)の山」の記述がある。

 ⇒  三輪山 = 香春岳

 

 畝尾山と耳成山 に関する記述

 「ウネビヤマ」は、『古事記 神武記』の歌謡二一の万葉仮名で、「宇泥備夜麻」と書かれているだけで、『古事記 
神代』
の記事、

 「坐香山之畝尾木本、名泣澤女神。

より三連山(三輪山=香春岳)の中心の山が、天香山(三ノ岳)であり、その山から二ノ岳、一ノ岳へと畝が続く畝の尾の山で
あることから畝尾山と名付けられた。それが、奈良県では、畝傍山となっている。

 二ノ岳は、耳成山(ミミナシヤマ)ではなく『魏志倭人伝』の記述にある副官 弥弥那利(ミミナリ)より耳成山(ミミナリヤマ)

 福永晋三先生のタイトル「邪馬臺国の位置と年表」の資料「 邪馬臺国の位置と年表改訂版 」の5ページに 「香春岳二ノ岳=
 耳成山の名称は、『魏志倭人伝』に記載されている副官:弥弥那利(ミミナリ)」の記述があります。

正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命の 豊国北伐   倭国(豊国)北伐考(平成28年3月21日、於 久留米大学)講演より

 香春岳二ノ岳に祀られているのが、天忍骨尊(天忍穂耳命の別名)。正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命は、 英彦山 下り 吾勝野 
経由し、香春岳の土地(南から北)へやって来て、素戔鳥尊の一族を滅ぼしたのかも知れない。

*.『日本書紀 神代下 第九段』[第六]は、天忍骨尊と記述

 一書に曰はく、天忍穗根尊、高皇産靈尊の女子𣑥幡千千姬萬幡姬命、亦は云はく、
高皇産靈尊の兒火之戸幡姬の兒千千姬命といふ、を娶りたまふ。而して兒天火明命を
生む。次に天津彥根火瓊瓊杵根尊を生みまつる。其の天火明命の兒天香山は、是尾張
連等が遠祖なり。
 皇孫火瓊瓊杵尊を、葦原中國に降し奉るに至るに及びて、高皇産靈尊、八十諸神に
勅して曰はく、「葦原中國は、磐根・木株・草葉も、猶能く言語ふ。夜は熛火の若に
喧響ひ、昼は五月蠅如す沸き騰る」と、云々。

 

 天香山 (三ノ岳)に関する記述

 『日本書紀』、『古事記』の記述にあるように天香山は、金属(銅、金、鉄)が採れる山であり、また、万葉集2番歌に
歌われているように、山に登れば海が見える事が比定地の条件。

* 大和(奈良県)の香具山では、山に登って海が絶対に見えない。 また、金属は、一切取れない。

■ 天香山に登れば海(古遠賀湾、行橋の海)が見えたであろう地図(Flood Mapsの海面上昇(7m)地図)は、 こちら 

第二次東征の天香山(香春岳)攻略にかかるは、「 邪馬臺国(邪馬台国)年表 」の 118年 九月 です。

福永晋三先生のタイトル『天香山事件』の資料「  天香具山争奪戦 」です。

素戔鳥尊の 豊国北伐   倭国(豊国)北伐考(平成28年3月21日、於 久留米大学)講演より

 素戔鳥尊の矢俣遠呂智退治は、南の安心院( 須賀の宮 )を出て、北の天香山周辺(近くに 神鏡製造所跡「清祠殿」 
ある)の八俣遠呂智一族(すなわち八幡神の長か?)を討伐した出来事である。 ⇒  「出雲王朝の成立」 

 その出雲王朝は、饒速日尊(天照大神)により倒された。素戔鳥尊は、饒速日尊(天照大神)に 岩屋 の前で処刑された。

 矢俣遠呂智の尾から出てきた劔は、『古事記』では「都牟刈の太刀」。『日本書紀』では、「天叢雲劒」。これが
天皇家の三種の神器の劔「草薙の劔」であり、日本武尊の草薙の劔とも深く関わる 八剣神社 が筑豊地方に濃密に分布する。

<所在地のGoogelマップ>