「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 香春岳 = 倭三山(やまとさんざん)、美和(三輪・御諸)山 ⇒ 畝尾山・耳成山・天香山

[天香山=香春三ノ岳:『万葉集 2番歌』の宇治天皇の国見の山]

※ 香春は国のまほろば 三(平成29年10月1日(日) 於 香春町町民センター コンベンション室より

■ 『古事記』仁徳記 ・・・ 「高山」は、「かぐやま」と読むべきである。

真実の仁徳天皇
 是に天皇、高山(かぐやま)に登りて、
四方の國を見たまひて詔りたまひし
く、「國の中に烟發たず國皆貧窮
。故、今より三年に至るまで、悉
人民の課役(えつき)を除(ゆる)。」
とのりたまひき。
 是を以ちて大殿破れ壊れて、悉に
雨漏れども、都(かつ)て脩理すること
勿く、椷( はこ)を以ちて其の漏る雨
を受けて、漏らざる處に遷り避けま
しき。
 後に國の中を見たまへば、國に烟
滿てり
。故、人民富めりと爲ほして、
今はと課役を科せたまひき。是を以
ちて百姓榮えて、役使(えだち)に苦し
まざりき。故、其の御世を稱へて、
聖帝の世と謂ふなり。
(『古事記』仁徳記)

*.『万葉集』13番歌 ・・・ 「高山波」は、「かぐやまは」と読ませている。行橋市の「 幸ノ山 」の
 ページを参照下さい。

<『 宇治の京 』20~21ページより引用>

 古事記に云う、聖帝の御世が三年との記述と整合させるなら、宇治天皇三年夏四月に、天皇は再び、天の香山に
登りまして国見をなさったと考えられる。
 その時の歌こそが、万葉集二番の長歌と十五番の反歌と思われる。この組み合わせは、『万葉集形成の謎』(山口博)
に触発され、藤原定家の「長歌短歌之説」を参照した結果、二番歌に反歌のあったことが記録されている所から考察して
得られた、筆者独自の復元に拠る。

■ 万葉集 二番(長歌)/ 一五番(反歌)

真実の仁徳天皇
 天皇香具山に登りて
  望國(くにみ)せし時の御製歌
倭には 群山有れど 取り鎧ふ 天
の香具山 登り立ち 國見を爲れば
國原は 煙立ち立つ 海原は 鷗立
ち立つ うまし國そ 『』蜻蛉嶋
倭の國は
(万葉集 二番)
 反 歌
わたつみの 豊旗雲に 入日射し
今夜の月夜 さやに照りこそ
(万葉集 一五番)

*.末尾が「 蜻蛉嶋 八間跡能國者」の七・七の音数律であったものを故意にカットした疑いがある。

*.国見をした天皇は宇治天皇であり、万葉集2番歌は 宇治天皇の国見の歌である。本来、歌は長歌と
 反歌の組合わがあり、15番歌をその反歌(短歌)とした。

■ 藤原定家が、短歌長歌の説という和歌に対する歌論を残しているが、万葉集二番歌は長歌で、この歌の反歌
 (五七五七七の短歌)が付いていたと記している。

⇒ 今の万葉集を編纂したと思われる菅原道真公が、十三番歌の長歌の反歌に相応しくないが、今見ている万葉集の
 歌の順序通りにこの短歌を載せますとする左注が、「右の一首は、今案(いまかむが)ふるに、反歌に似ず。但し、
 旧本(旧本)この歌を以て反歌に載す。
」とあり、十三番の長歌に対する反歌十四番の次にある十五番が、二番の
 長歌の本当の反歌とした。
  十三番の出だしの「高山(=「かぐやま」と詠ませる)」とあり、反歌十四番も「高山」である。十五番こそが、
 本当の「香具山」の歌で、二番歌の「香具山」の歌の反歌とした。

■ 長歌(ちょうか)は、和歌の形式の一つ。 五七、五七、・・・、五七、七の形式で、すなわち、五七を三回以上
 繰り返し、最後を七音を加える。

⇒ 古くは必ずしも五または七でなく、字余り、字足らずになっている場合があるが、福永晋三先生によれば、

 蜻蛉島(あきづしま):(5)のところは、(とよ)が落ちている。 蜻蛉島とよあきづしま):(7)
となる。

 「真実の仁徳天皇」(平成27年11月5日、於 大阪市天王寺区 吉田ビル)の講演時に以下、『万葉集二番』の
 解釈の訂正しています。

 「取り鎧ふ(取與呂布)」のところは、「とりよろう(とりよろふ)」の意味は、「連立つ」があるので、
「鎧を身に着けたような山肌をした天香山」から「畝尾山と耳成山の峰と連れ立って聳える天香山」という
解釈になる。香春岳が、三連山であるので、「とりよろふ」と歌われている。

*.天香山に登れば海(古遠賀湾、行橋の海)が見えたであろう地図(Flood Mapsの海面上昇(7m)地図)は、
 
 こちら 

 

『日本書紀』、『古事記』 ・・・ 金属の取れる山

日本書紀 神代上 第七段
 故卽、以石凝姥爲冶工、採天香
之金、以作日矛。
 故、即ち石凝姥を以て冶工と
して、天香山の金を採りて、日矛
を作らしむ。
古事記
 天照大神と須佐之男命 天の石屋戸
 取天安河之河上之天堅石、
天金山之鐵而、
 天の安の河の河上の堅石を取り、
天の金山の鐵を取りて、 ・・・

*.「天香山の金を採りて/天の金山の鐵を取りて」とある

 

『万葉集 巻一 二八 天皇の御製歌(おほみうた)』

万葉集 二八
藤原宮御宇天皇代
 高天原廣野姫天皇 元年丁亥十一年
 譲位軽太子 尊号曰太上天皇
天皇御製歌
 春過而 夏来良之 白妙能
 衣乾有 天之香来山
 春過ぎて 夏来たるらし
 白たへの 衣干したり
 天の香具山

 福永晋三先生のタイトル『天香山事件』の資料「天香具山争奪戦」の  5ページ に「天の金山=天香山」を
 示しており、鉄は「かね」、または、「まがね」と読み、銅と考えるべきとある。

 福永晋三先生の「万葉集 2番歌、反歌15番歌、百人一首1番歌、2番歌」についての  新解釈 です。