「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
香春岳 = 倭三山、美和(三輪・御諸)山 ⇒ 畝尾山・耳成山・天香山
[天香山=香春三ノ岳:『万葉集 2番歌』の宇治天皇の国見の山]
※ 香春は国のまほろば 三(平成29年10月1日(日) 於 香春町町民センター コンベンション室より
■ 『古事記』仁徳記 ・・・ 「高山」は、「かぐやま」と読むべきである。
*.『万葉集』13番歌 ・・・ 「高山波」は、「かぐやまは」と読ませている。行橋市の「 幸ノ山 」の
ページを参照下さい。
<『 宇治の京 』20~21ページより引用>
古事記に云う、聖帝の御世が三年との記述と整合させるなら、宇治天皇三年夏四月に、天皇は再び、天の香山に
登りまして国見をなさったと考えられる。
その時の歌こそが、万葉集二番の長歌と十五番の反歌と思われる。この組み合わせは、『万葉集形成の謎』(山口博)
に触発され、藤原定家の「長歌短歌之説」を参照した結果、二番歌に反歌のあったことが記録されている所から考察して
得られた、筆者独自の復元に拠る。
■ 万葉集 二番(長歌)/ 一五番(反歌)
*.末尾が「豊 蜻蛉嶋 八間跡能國者」の七・七の音数律であったものを故意にカットした疑いがある。
*.国見をした天皇は宇治天皇であり、万葉集2番歌は 宇治天皇の国見の歌である。本来、歌は長歌と
反歌の組合わがあり、15番歌をその反歌(短歌)とした。
■ 藤原定家が、短歌長歌の説という和歌に対する歌論を残しているが、万葉集二番歌は長歌で、この歌の反歌
(五七五七七の短歌)が付いていたと記している。
⇒ 今の万葉集を編纂したと思われる菅原道真公が、十三番歌の長歌の反歌に相応しくないが、今見ている万葉集の
歌の順序通りにこの短歌を載せますとする左注が、「右の一首は、今案(いまかむが)ふるに、反歌に似ず。但し、
旧本(旧本)この歌を以て反歌に載す。」とあり、十三番の長歌に対する反歌十四番の次にある十五番が、二番の
長歌の本当の反歌とした。
十三番の出だしの「高山(=「かぐやま」と詠ませる)」とあり、反歌十四番も「高山」である。十五番こそが、
本当の「香具山」の歌で、二番歌の「香具山」の歌の反歌とした。
■ 長歌(ちょうか)は、和歌の形式の一つ。 五七、五七、・・・、五七、七の形式で、すなわち、五七を三回以上
繰り返し、最後を七音を加える。
⇒ 古くは必ずしも五または七でなく、字余り、字足らずになっている場合があるが、福永晋三先生によれば、
蜻蛉島(あきづしま):(5)のところは、豊(とよ)が落ちている。 豊蜻蛉島(とよあきづしま):(7)
となる。
※ 「真実の仁徳天皇」(平成27年11月5日、於 大阪市天王寺区 吉田ビル)の講演時に以下、『万葉集二番』の
解釈の訂正しています。
「取り鎧ふ(取與呂布)」のところは、「とりよろう(とりよろふ)」の意味は、「連立つ」があるので、
「鎧を身に着けたような山肌をした天香山」から「畝尾山と耳成山の峰と連れ立って聳える天香山」という
解釈になる。香春岳が、三連山であるので、「とりよろふ」と歌われている。
*.天香山に登れば海(古遠賀湾、行橋の海)が見えたであろう地図(Flood Mapsの海面上昇(7m)地図)は、
こちら
『日本書紀』、『古事記』 ・・・ 金属の取れる山
*.「天香山の金を採りて/天の金山の鐵を取りて」とある
『万葉集 巻一 二八 天皇の御製歌(おほみうた)』
※ 福永晋三先生のタイトル『天香山事件』の資料「天香具山争奪戦」の
5ページ に「天の金山=天香山」を
示しており、鉄は「かね」、または、「まがね」と読み、銅と考えるべきとある。
※ 福永晋三先生の「万葉集 2番歌、反歌15番歌、百人一首1番歌、2番歌」についての 新解釈 です。