※ 福永晋三先生の著書『倭歌が解き明かす古代史 真実の仁徳天皇』の
「Ⅱ 飛ぶ鳥の明日香』の中の「犀川の流路
変遷」の項に「今川は、以前は犀川と呼ばれていた。その犀川が赤村の昭和四十年代まで灰坂と呼ばれた辺りで
ほぼ直角に北から東の方へ向きを変えています。
赤村付近を源流として行橋市方面に流れていた現在の下流部分(古事記で山代川/日本書記で山背川と読んでいる)
が犀川の源流を奪取した為に元の犀川の下流部(現 御禊川 )は源流と絶たれ、附近の丘陵地帯のみが水源となり
現在のような細い川になった。」の記述があります。