「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


[今川の下流部分:山代川(古事記)、山背川(日本書紀)]

 福永晋三先生の著書『倭歌が解き明かす古代史 真実の仁徳天皇』の 「Ⅱ 飛ぶ鳥の明日香』の中の「犀川の流路
 変遷」の項に「今川は、以前は犀川と呼ばれていた。その犀川が赤村の昭和四十年代まで灰坂と呼ばれた辺りで
 ほぼ直角に北から東の方へ向きを変えています。
  赤村付近を源流として行橋市方面に流れていた現在の下流部分(古事記で山代川/日本書記で山背川と読んでいる)
 が犀川の源流を奪取した為に元の犀川の下流部(現 御禊川 )は源流と絶たれ、附近の丘陵地帯のみが水源となり
 現在のような細い川になった。」の記述があります。

※ 『古事記 仁徳天皇では、大后石之日賣命。日本書紀 仁徳紀では、皇后磐之媛命』の歌

『古事記』では、「山代河」

*.歌謡五九

 

『日本書記』[歌謡五四]では、「山背河」

*.六 [歌謡五四]