「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 邪馬臺(やまと)國 = ( やまと)国 年表(豊国史)

[139年(己卯年) 手研耳命大王が殺される ~ 143年 神八井耳命薨ず]

<139年~143年>

神武東征と魏志倭人伝
一三九
 皇子神渟名川耳尊、手研耳命大王を弑
 し
、王位を奪う。
 「太歳己卯」
一四〇
 春正月、神渟名川耳尊、天皇位に即く。
 葛城に都す。
 是年太歳庚辰。
一四三
 夏四月、神八井耳命薨ず即ち畝傍山の
 北
に葬る。

 

「倭国大乱」の原因は、神武天皇の新たな婚姻 

 139年(太歳己卯)神武の出身地の日向国の吾田邑の吾平津姫(妃)との間に生まれた手研耳命が、
香春(橿原)の地で正妃として迎えた媛蹈鞴五十鈴媛命との間に生まれた神渟名川耳尊(後の綏靖天皇)
に殺されたところから始まった。

 ⇒ 「豊国 対 火国」

 

<倭国大乱 = 豊国 対 火国>

神武東征と魏志倭人伝
一二一辛酉年の春正月の庚辰朔に、
 天皇、橿原宮に於いて帝位に即きた
 まふ。」
神武即位
(魏志倭人伝)部分
一三九 皇子神渟名川耳尊、手研耳命大
 王を弑し
、王位を奪う。「太歳己卯」
一四六~一八九 桓・霊の間、倭国大乱。
(謝承・范曄後漢書)
「豊国 対 火国」

 

「神武(最初の男王)即位の121年から7、80年間は、男王だった。」

 その記述が『魏志倭人伝』

「其の国、本亦男子を以て王と為し、住まること七、八十年、倭国乱れ、相攻伐すること歴年、
 乃ち共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰ふ。」

 それが『范曄 後漢書』に謂う桓・霊の間(146年~189年)、倭国大乱。