「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 甲塚(かぶとづか)方墳(九州最大規模の方墳)= 蘇我稲目の墓

※ 聖徳太子の正体 蘇我氏は「みやこ」にいた
  (平成29年6月3日 みやこ町歴史民俗博物館。4 日 嘉麻市NICO)の講演より

 五七〇年( 欽明天皇 三一年)に蘇我稲目薨去。
通説では、奈良県明日香村に六世紀後半に出現した方墳が稲目の墓ではないかとする。ところが、みやこ町
豊津地域北部、八景山南麓の標高約四〇mの丘陵上に甲塚方墳がある。

 みやこ町歴史民俗博物館の解説書から抄録する。

 「甲塚方墳に埋葬された人物は、6世紀後半代になって京都平野南部を代表する立場になった首長と
考えられます。
 墳丘の規模は長さ約四六・五m、幅三六・四mで、高さは約九・五mをはかります。墳丘の周囲には
浅い周溝が掘り込まれ、その外側には土を盛り上げた周堤がめぐらされています。周溝・周堤を含めた
甲塚方墳全体の規模は長さ約七二m・幅六三mに達します。
 石室は真南に入り口があり、墓道・前室・玄室に分かれています。石室の全長は一五・四mで、もっとも
奥の玄室の天井は四・六mと非常に高いことが特徴です。
 石室に使われている石材は大部分が花崗岩で、長さ二mを越える大きなものもあり、特に玄室の奥壁に
据えられている腰石は三・五mを越える巨大な石材で、重量は一〇tに達するものと推測されます。」

 この九州最大規模の方墳が稲目の墓と思われる。

「祖くしょず」
「写真」
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