みやこ町の解説書に拠れば、墳丘は南北三七m、東西三九mのやや横長の方墳で、それをとりまく周濠は
南北五三・五m、東西五二mの縦長長方形と推定されている。
主体部は花崗岩の巨石を用いて築かれた複室構造の横穴式石室で、石室の長さは一六・三m。玄室は
幅三・二m×長さ四・〇mの長方形で、天井までの高さは三・八m。
みやこ町の学芸員の方が強調されたのは、奈良県の巨石墳の石室は単室構造であるが、みやこ町の石室は
複室構造であること、
したがってみやこ町の巨石墳の被葬者の方が身分が高いのではないかとの推察である。
さらに解説書には、「橘塚古墳も甲塚方墳と同様に天皇、 蘇我氏等の有力豪族と何らかの関係があった
可能性が伺えます」と控えめに書いてあるが、正真正銘の橘豐日天皇( 用明天皇 )の科長中陵だからこそ
「橘塚」の名が遺されたと考えている。