「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 八雷古墳 = 守屋の資人()鳥部(とりべの)(よろづ)と犬の墓

※ 聖徳太子の正体 蘇我氏は「みやこ」にいた
  (平成29年6月3日 みやこ町歴史民俗博物館。4 日 嘉麻市NICO)の講演より

 物部守屋が滅んだ後に、一人の家来の逸話が続く。抄録する。

 物部守屋大連資人、捕鳥部萬萬、名也將一百人守難波宅、而聞大連滅、騎馬夜逃、
向茅渟縣有眞香邑、仍過婦宅而遂匿山。朝庭議曰「萬、 懷逆心、故隱此山中。
早須滅族、可不怠歟。」

 守屋の資人捕鳥部(よろづ)が逃亡して山に隠れるが、朝廷が萬の一族を滅ぼせと命じる。萬は自ら出てきて、
朝廷の兵三十余人を殺して自害する。

 朝廷は萬の死骸を「斬、散梟。」と命じる。河內の國司が、「卽依苻旨
 臨斬梟時」
に、鳴大雨。」とある。
 すると、「爰有萬養白犬、俯仰𢌞吠於其屍側、遂嚙舉頭置古冢、横臥
 枕側、飢死於前。」

 朝廷はこの犬を愛でて、萬の一族に墓を造らせ、萬と犬とを葬らせた。実に奇妙な逸話である。

 ところが、萬と犬との墓らしきものが実在する。行橋市の「八雷古墳」である。ここから出た埴輪が白犬の噛み
挙げた萬の頭を連想させるのである。
 二代綏靖天皇以来、外戚であり続け、国つ神を崇拝した古代氏族である物部氏の宗本家が滅亡した。

「測量図および埴輪」
「航空写真」

 

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