「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 島台、安永神社 = 嶋宮

壬申の乱のあらまし(平成29年11月18日、於 赤村村民センター)講演より

天智天皇十年 ( 六七一 ・・・ 天智紀には、天智十年の記事が、天武紀は、天智四年と書かれている。

 九月に、天皇寝疾不予したまふ。
 冬十月の甲子の朔壬午(十九日)に、東宮、天皇に見えて、吉野
(山国町  若宮八幡 に之りて、
脩行仏道せむと請したまふ。天皇許す。 東宮即ち吉野に入りたまふ。
 大臣等侍へ送る。 菟道
(香春町  阿曽隈社 に至りて還る。

※ (天智天皇) 四年冬十月の)壬午(十九日)に、吉野宮に入りたまふ。
時に左大臣蘇賀赤兄臣・右大臣中臣金連、及び大納言蘇賀果安臣等
送りたてまつる。菟道より還る。
 或の曰はく、「虎に翼を着けて 放てり」といふ。是の夕に、
嶋宮に御します。癸未(二十日)に、吉野に至りて居します。 

 (天武天皇 摂政前紀)

 島台

「写真(バス停)」

 安永神社

「写真」

 安永神社 鎮祭の由来

「写真(由緒書き)」

 

 <所在地のGoogelマップ> ・・・ 安永神社の由来より島台に「嶋宮」があった。