「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 「壬申の乱」のあらまし

※ 壬申の乱のあらまし(平成29年11月18日、於 赤村村民センター)講演より

三、豊君としての天智天皇

 ②斉明紀の二元外交

 斉明紀の最大の不可思議な点は、朝鮮半島で敵対する百済・新羅の両国と国交していることにある。最近、九州王朝説を唱える人の
 中にも、唐・新羅と国交を結んだ王権と、百済と国交を結んだ王権とが日本列島に併存したのではないかと考える人が現れた。
 私はすでに皇極天皇の重祚はなかったという結論に達した。

 倭国本朝の側には筑紫君阿毎薩野馬がいて、例えば、斉明七年に

 「送王子豐璋及妻子與其叔父忠勝等、其正發遣之時見于七年。」

 を為したのは筑紫君の業績であろう。これに対し、豊君の天智天皇はひたすら大唐・新羅と誼(よしみ)を通じるのである。この外交
 方針の違いが、後の白村江戦での決定的な結果を招くことになる。

 倭国地図 (法興元591以後)  遠賀川流域(古遠賀湾)の天物部氏が筑紫に就く

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