「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 第11回古代史講座 古代田川を解き明かす
宗像が末盧国なら邪馬台国は田川だ2 (令和元年六月二日、於 田川青少年文化ホール)より
本章 記紀から解く魏志倭人伝 ①神武天皇紀
■ 天満倭国=倭奴国成立
(*1)頭に付く「豊」の字は、文学の世界でも美称=美しい飾り言葉だという。これが大間違い。ここは豊国(豊前国)でしょ。
「豊」は、実事でしょ。実体でしょ。筑豊の方でしょ。これで、「豐葦原瑞穗國」がどこにあるか判らない事になった。
挙句の盾に宮崎県に持って行かれた。宮崎県は、日向国ですよ。
(*3)紀元57年に漢光武帝から金印を貰った王が、先代旧事本紀の饒速日の息子、天香語山命でないか。天香山が、金・銅が
採れる香春三ノ岳である。奈良県の天香具山は、つい最近、江戸時代の終わり頃にやっと名前が付いた偽物である。
本居宣長、蒲生君平が勝手に付けた名前である。精々、300年前に付いた名前である。奈香春三ノ岳は天香山の名前が消されたが、
金と銅が採れる。
天香語山命は、香春三ノ岳の麓辺りに宮を構えていたであろうから、奈香春三ノ岳は天香山の名前が消されたが、金と銅が採れる。
博多の志賀島から出たとされる金印も当然、香春にあったであろう。
『後漢書』の記録では、『魏志倭人伝』の帯方郡からでなく、樂浪郡から12,000里とある。樂浪郡は、現在のピョンヤンです。
帯方郡は、下記の「楽浪式土器伝播図」にある位置より南、ソウルだと思います。帯方郡はソウル説です。
一番古い中国の古典には、樂浪郡から香春までの距離が、12,000里だと書いてある。
楽浪郡
↓ 海岸に沿って
巨済島
↓ 海を渡る
対 馬
↓ 海を渡る
壱岐(原の辻)
↓ 海を渡る
香春(倭奴国)
里は、中国の文献と出土した物差しから考えて、 1里は50歩で67.5m という説を出している。したがって、
1,000里は、67.5kmとなる。
1歩というのは、2足。今の日本人の2歩で、その距離が1.35mとなり、1里は67.5mとなる。その里を
用いている。