「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 第11回古代史講座 古代田川を解き明かす
宗像が末盧国なら邪馬台国は田川だ2 (令和元年六月二日、於 田川青少年文化ホール)より
本章 記紀から解く魏志倭人伝 ④景行天皇紀
■ 大帯日子命は、卑弥弓呼か?
『謝承後漢書』に卑弥呼の死後、男王がたったが、また、国中が服しないで相誅殺する。その後、台与がたって
収まったと書かれている。
『景行天皇紀』には、南から北へ侵略した地名が書かれている。したがって、景行天皇は、豊国の天皇では無い。
つまり、狗奴国の卑弥弓呼である可能性が大である。
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『景行天皇紀』に書かれている「蹈石」と呼ばれる石が、この
帝踏石 である。この石が、小倉南朽網(くさみ)にある。
昔は、來田見(くたみ)と呼ばれていたのであろう。
帝踏石(北九州市小倉南区朽網西2-28)