「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 大坂山(おおさかやま) = 飯岳山(いいだけさん)/逢坂 =「大坂」の地名

 大坂山(おおさかやま)は、福岡県京都郡みやこ町犀川大坂と田川郡香春町鏡山に位置する標高573mの山。飯岳山(いいだけさん)とも呼ばれる。

 大坂山の周辺には、「大阪」の地名が点在する。『記紀』にある忍熊王軍と神功軍が出会った場所が、「逢坂」=「大坂」である。

 下記の『日本書紀 崇神紀』の歌謡、御所ケ谷神籠石を造る時の歌については、みやこ町 犀川大坂 のページに詳述しています。

  飫朋佐介珥 菟藝廼煩例屢 伊辭務邏塢 多誤辭珥固佐縻 固辭介氐務介茂
  大坂に   継ぎ登れる  石群を   手逓伝に越さば 越しかてむかも

 「氣長足姫尊の豊国北伐」の御所ケ谷神籠石に拠る忍熊王の殲滅(神功天皇の調略/忍熊王の逃避行)のページは、 こちら です。

 「大坂山」とその周辺の「大阪」の地名

「地図(香春町飯岳山=大坂山)」

 古事記を読む-神武から景行まで(平成28年9月25日、於 添田町町民会館)の講演より

『日本書紀 崇神紀』 箸墓を造る時の記述

日本書紀 崇神紀
 是後 倭迹迹日百襲姬命 爲大物主
神之妻 然其神常晝不見 而夜來矣 
倭迹迹姬命語夫曰 君常晝不見者 分
明不得視其尊顏 願暫留之 明旦仰欲
覲美麗之威儀 大神對曰 言理灼然 
吾明旦入汝櫛笥而居 願無驚吾形 爰
倭 迹迹姬命 心裏密異之 待明以見
櫛笥遂有美麗小蛇 其長大如衣紐 則
驚之叫啼 時大神有恥 忽化人形 謂
其妻 曰 汝不忍令羞吾 吾還令羞汝 
仍踐大虛 登于御諸山 爰倭迹迹姬命
仰見而悔之急居 則箸撞陰而薨 乃葬
於大市 故時人號其墓 謂箸墓也 是
墓者日也人作 夜也神作 故運大坂山
石而造 則自山至于墓 人民相踵 以
手遞傳而運焉 時人歌之曰 飫朋佐介
珥 菟藝廼煩例屢 伊辭務邏塢 多誤
辭珥 固佐縻 固辭介氐務介茂

 

忍熊王軍と神功軍が出会った場所 = 逢坂(大坂)

「写真(香春町大坂)」

 <所在地のGoogelマップ> ・・・ 飯岳山(大坂山)を示しています。