「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 谷口に「お伊勢堂」、向かいに「天ヶ森」宇迦之御魂神を祀った石碑(伊勢神宮の発祥地)

 香春町合併60周年記念講演『香春は国のまほろば』
(平成28年11月3日、於 香春町町民センターホール)の講演より

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 香春は、伊勢神宮の発祥地

 宮若市の 天照宮 を征服した天照大神(男神、饒速日尊)が香春までやって来て、素戔鳥尊を倒したという歴史的な構図が香春の地で起こったようである。
 饒速日尊が、香春まできた場所が「天照皇太神宮」で、ここには天照大神が祀られている。(香春を攻略している。)
 古宮八幡宮の神幸祭で必ず行った場所、谷口がある。谷口という道路標識のある場所の近くに(かつ)ては「お伊勢堂」があった。その「お伊勢堂」の向かい側に「天が森」という場所があり、ここには、宇迦之(うかの)御魂(みたま)を祀ったという大きな石碑がある。宇迦之御魂神は、言い換えれば、豊受大神(とようけのおおかみ)です。
 谷口の地で、片方に「お伊勢堂」(天照大神)、反対側に豊受大神を祀ってあり、今は、三重県に遷ってしまったが、伊勢神宮の大もとである。内宮と外宮の神様が、この香春の地で対峙されている。
 したがって、ここ谷口の地が伊勢神宮の発祥の地ではないか。また、 古宮八幡宮 の神幸祭の掛け声が、「伊勢音頭(伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ~♪)」である。この伊勢神宮が、東へと遷って現在の三重県の伊勢神宮がある。

天照皇太神宮(天照大神を祀っている)

「写真」
天照大神 香春を攻略

谷口(かつて、お伊勢堂があった場所)

「写真」
天照大神 香春を攻略

天が森(宇迦之御魂神を祀ったとある大きな石碑)

「写真」
天照大神 香春を攻略

 

八俣遠呂智(をろち)退治の真相
 其の八俣遠呂智(まこと)(こと)の如く來て、乃ち船毎に己が頭を垂れ入れ其の酒を飮みき。是に飮み醉ひ留り伏して寢ねき。
 (しか)くして速須佐之男の命、其の()(はか)せる十拳(とつか)の劔を拔きて其の蛇を切り散ししかば、()(かは)血に(へん)じて流れき。
 故、其の中の尾を切りし時、御刀の刄(こぼ)れき
 爾くして怪しと思ひて御刀の(さき)を以ちて刺し割りて見れば、都牟刈(つむがり)の大刀在り。
 故、此の大刀を取りて、異しき
物と思
ひて、天照大御神に白し上げき。是は草那藝(くさなぎ)の劒なり。
(古事記)

 

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 八俣遠呂智退治の真相

 素戔鳥尊を倒した男神、天照大神(饒速日尊)が、「草薙の劔」を手にいれて、豊国の王者になった。饒速日尊の王朝が誕生した。
 この王朝は、漢の光武帝より金印を受けた国、倭奴国=天満倭国である。その金印は、『 先代旧事本紀 』によれば、饒速日尊の次男、天香語山命が王の時に受けたと思われる。

 『古事記』のこの記事は、素戔鳥尊から男神、天照大神(饒速日尊)に豊国の王の印である「草薙の劔」が渡り、王権が替わった記録と思われる。

 故、此の大刀を取りて、異しき物と思ひて、天照大御神に白し上げき。是は草那藝(くさなぎ)の劒なり。

 現在、金印は博多博物館にあるが、元々はここ香春にあったはずです。神武天皇が倭奴国を倒した後、筑紫の側へ持っていった。
 それが伝承では、博多の志賀島から発見されたことになっているが、これも嘘です。天香語山(命)が、天香山であることは明らかでしょう。天香山が、香春三ノ岳であり倭奴国(天満倭国)は、この香春の地の王朝であった。

 <所在地のGoogelマップ> ・・・ 香春町大字採銅所字天矢

 <所在地のGoogelマップ> ・・・ 「天の森」の向かいに「お伊勢堂跡」