「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 猪膝(秋月街道 猪膝宿 構口跡/大刀洗の井戸)/白鳥神社 = 日本武尊の伝承地

※ 古事記を読む-神武から景行まで(平成28年9月25日、於 添田町町民会館)の講演より

<日本書紀 景行紀 十二年>

 唯殘しき賊者有り、一をば
鼻垂と曰ふ。妄に名號を假り
て、山谷に響ひ聚りて、菟狹
の川上
に屯結めり。
 二をば耳垂と曰ふ。殘ひ賊
り、貧り婪きて、屢人民を略
む。是御木の川上に居り。
 三をば麻剥と曰ふ。潛に徒
黨を聚めて、高羽の川上に居
り。
 四をば土折猪折と曰ふ。
野の川上
に隱れ住りて、獨山
川の險しきを恃みて、多に人
民を掠む。

*.大足彦忍代別天皇の豊国北伐」のページは、 こちら 

 

 田川には、添田町 緑川 の伝承に同じように『日本書紀』とは、異なる「土折居折」が、日本武尊に討たれた伝承が伝わる。
 「土折居折」を切った太刀を洗ったと伝わる「大刀洗の井戸」がある場所が、「秋月街道 猪膝宿 構口跡」です。 ここから少し南に白鳥神社もあります。

『豊前猪膝宿南構口跡および大刀洗の井戸』の説明板

 豊前小倉・香春から猪膝(いのひざ)を通り、筑前大隅から八丁峠を越えて秋月に至る。これを猪膝街道と呼び、筑後地方への裏街道としてにぎわっていた、猪膝宿は恵比寿社や宿本陣(しゅくほんじん)を中心に、およそ八五〇メートルの町並である。
 構口(かまえぐち)は宿場の出入口で今は南構口の石垣に一部が往時をしのばせている。近くには江戸時代の伊藤浚明(しゅんめい)の私塾義井堂跡がある。
 大刀洗の井戸は昔日本(やまと)(たけるの)(みこと)がこの地方の土賊・猪折を誅伐したとき、この井戸で剱を洗ったとの伝説がある。
 旱魃(かんばつ)の時でも()れることのない霊水である。

平成五年五月  田川ライオネスクラブ  建立

<所在地のGoogelマップ> ・・・ 大刀洗の井戸の隣に「秋月街道 猪膝宿 溝口跡」教示板があります。少し南に
               白鳥神社もあります。