「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


[「邪馬台国の女王 卑弥呼」は?]

「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三 より

 「卑弥呼」に該当する人物は、「天孫本紀」の「日女命(ひめのみこと)」ではないか?  また、卑弥呼の後継は宗女の臺與(とよ)
あるが、この系譜の11世は、乎止與命(おとよのみこと)となっている。

 『魏志倭人伝』には、「年巳長大無夫婿有男弟佐治國」の記述があり、卑弥呼に男弟がいた。

 

 以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

 暦年主無しの状況から卑弥呼が共立される。倭国乱が桓・霊之末で、卑弥呼の即位が韓伝との比較から景初前の後漢の
建安(一九六~二二〇)中であると考えられるなら、年代の上で、天皇の系譜に卑弥呼は見当たらない。

 ところが、先に述べた、外戚化した物部氏の第九世に弟彦命・日女命が存在し、卑弥呼と男弟王の組合せを連想させ
得る存在があるではないか。
 王権が天神系に移っているようだ。実は、神渟名川耳尊のクーデター以後、天皇家(大王家)は天孫系から天神系に
継がれていたのではないか。
 魏志倭人伝どおり、卑弥呼の死後は男王、十世は淡夜別命で男子、男王立つも国中服せず復た宗女臺與(トヨか)
立つとある。

 十一世は乎止與(ヲトヨ)命であり、天孫本紀には「此の命は尾張大印岐の女子」とある。同じ女子で、名前もよく
似通っている。
 魏志倭人伝と神武天皇紀と天孫本紀とを横断する時、これほどまでに内容が符号するものもこれらが歴史事実に近い
からではないだろうか。
 景初二年(二三八年)六月、邪馬臺国の女王にして神武の後継者たる卑弥呼は魏の帯方郡に大夫難升米等を遣わした
のである。

 

 ■『先代旧事本紀』卷五「天孫本紀」所載、尾張氏系譜

 

■ 「卑弥呼」の死の『魏志倭人伝』の記述について

  「卑弥呼以死」の記述の「以死」は、自然死ではなく自決させられた。狗奴国の男王卑弥弓呼(ひみくこ)との戦いで
 邪馬台国が敗れた。魏の朝廷は証書と黄幢を難升米(なしめ) に授け、卑弥呼はその責任を取らされて自決した。

 *.墓の記述は、「 大作冢、徑百餘歩 」とある。