「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
[宇治の京の場所は、何処か]
※ 宇治の宮の場所は、田川道の香春町の場所のどこにあるのか?
■ 古代間道の田川道:太宰府から宇佐神宮へ至る道にある。宇治は、宇佐(菟狭=うさ)に至る道。
■ 宇治の宮(菟道宮)と大鷦鷯天皇の難波高津宮(行橋市の五社八幡神社)の距離関係については、『日本書紀』の
記述の歩いて往復すると、鮮魚が腐る距離 = 20Km(徒歩約5時間前後)。
■ 『日本書紀 仁徳紀』 太子菟道稚郎子と大鷦鷯皇子が皇位を譲り合ったとされる逸話
■ 『万葉集 七番』 『宇治の京』より引用
『山城国風土記』逸文によると宇治の地名は、許乃国(このくに)と言われていた。
『日本書紀 應神紀』より菟道稚郎子の母:宮主宅媛(みやぬしやかひめ、宮主矢河枝比売) は、木幡(こはた)村=
許乃国(このくに)の端の村の出身である。
■ 『古事記』の応神天皇と菟道稚郎子の母の宮主宅媛が出会った場所が、木幡村
■ 『山城國風土記 逸文』 『宇治の京』より引用
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⇒ その場所は、阿曽隈社(香春町字宮原古宮ヶ鼻)で、「宇治宮」跡地である。