「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 阿曽隈社(地元では上権様)= 菟道稚郎子(宇治天皇)⇒ 「宇治京」跡/天智天皇の菟道宮

[諡号「仁徳」の由来の逸話(民のかまど)
 ・・・ 宇治天皇の国見をした山は、「天香山=香春三ノ岳」]

 以下の『古事記』の記述

 ここに天皇、高山(たかたま) に登りて、四方の國を見たまひ詔りたまひしく「國の
中に烟發たず。國皆貧窮し。
 故、今より三年に至るまで、悉に人民の課、役を除せ。」とのりたまひき。・・・

  

にある国見した山=高山は、下記に表記の『万葉集13番歌』の高山香具山(かぐやま)と読ませてあるから、 この
『古事記』の記述にある高山は、「かぐやま」と読むべきだとした。
 したがって、国見に登った山は、「天香山」であり 香春三ノ岳ということになる。

 

■ 『日本書紀 仁徳紀』の国見の記事

 四年の春二月の己未の朔甲子に、群臣に詔して曰はく、「朕、高台に登りて、
遠に望むに、烟気、 城の中に起たず。以為ふに、百姓既に貧しくして、家に炊く
者無きか。朕聞けり、古は、聖王の世には、人人、詠徳之音を誦げて、家毎に康
哉之歌有り。今朕、億兆に臨みて、茲に三年になりぬ。
 頌音聆えず。炊烟転疎なり。即ち知りぬ。五穀登らずして、百姓窮乏しからむ
と。邦畿之内すら、尚給がざる者有り。況や畿外諸国をや」とのたまふ。
 三月の己丑の朔己酉に、詔して曰はく、「今より以後、三年に至るまでに、悉
に課役を除めて、百姓の苦を息へよ。」とのたまふ。是の日より始めて、黼衣絓
履、弊れ尽きずは更に為らず。温飯煖羹、酸り餧らずは易へず。心を削くし志を
約めて、従事乎無為す。是を以て、宮垣崩るれども造らず、茅茨壊るれども葺か
ず。風雨隙に入りて、衣被を沾す。星辰壊より漏りて、床蓐を露にす。
 是の後、風雨時に順ひて、五穀豊穣なり。三稔の間、百姓富寛なり。頌徳既に
満ちて、炊烟亦繁し。
 七年の夏四月の辛未の朔に、天皇、台の上に居しまして、遠に望みたまふに、
烟気多に起つ。是の日に、皇后に語りて曰はく、「朕、既に富めり。更に愁無
し」とのたまふ。皇后、対へ諮したまはく、「何をか富めり謂ふ」とまうしたま
ふ。天皇の曰はく、「烟気、国に満てり。百姓、自づからに富めるか」とのたま
ふ。皇后、且言したまはく、「宮垣壊れれて、脩むること得ず。殿屋破れて、衣
被露る。何を富めりと謂ふや」とまうしたまふ。天皇の曰はく、「其れ天の君を
立つるは、是百姓の為なり。然れば君は百姓を以て本とす。
 (後略)

※ 『日本書紀』では、国見は、高台となっている。この国見は、四年と七年の夏四月は、宇治天皇の元年と
 三年の夏四月である。

 

■ 万葉集 二八番

藤原宮御宇天皇代
高天原廣野姫天皇 元年丁亥十一年 譲位軽太子
尊号曰太上天皇
天皇御製歌
春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天の香具山

※ 『日本書紀』の二度目の国見の夏四月の国見は、この萬葉集二八にある「夏来たるらし」と同じ季節であり、
 宇治天皇の国見を見送る皇后髪長媛の歌ではないか?

 福永晋三先生の「万葉集 2番歌、反歌15番歌、百人一首1番歌、2番歌」についての  新解釈 のページを
 参照下さい。

 

■ 万葉集 二番(長歌)

天皇登香具山望國之時御製歌
山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎爲者 國原波
煙立龍 海原波 加萬目立多都  怜  國曽 蜻嶋 八間跡能國者
天皇香具山に登りて望國せし時の御製歌
倭には 群山有れど 取り鎧ふ 天の香具山 登り立ち 國見を爲れば
國原は 煙立ち立つ 海原は 鷗立ち立つ うまし國そ 『』蜻蛉嶋
倭の國は

 *.末尾が「 蜻蛉嶋 八間跡能國者」の七・七の音数律であったものを故意にカットした疑いがある。

 

■ 万葉集 一五番(反歌)

渡津見乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 今夜乃月夜 清明己曾
右一首歌今案不似反歌也 但舊本以此歌載於反歌 故今猶載此次
わたつみの 豊旗雲に 入日射し 今夜の月夜 さやに照りこそ
 右の一首の歌は、今案ふるに、反歌に似ず。但し、旧本この歌を
以て反歌に載す。故に今猶しこの次に載す。

※ 国見をした天皇は宇治天皇であり、万葉集2番歌は 宇治天皇の国見の歌である。本来、歌は長歌と反歌の
 組合わがあり、15番歌をその反歌(短歌)とした。

 

■ 万葉集 一三番、一四番

中大兄 近江宮御宇天皇 三山歌
高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之
古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにある
らし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき

か ぐ やま

反 歌
高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良
香具山と 耳成山と 闘ひし時 立ちて見に来し 印南国原

か ぐ やま

※ 『古事記』の記述の「ここに天皇、 高山(たかやま)に登りて、・・・」とあるが、「高山(たかやま)」を
 万葉集の13番、14番では、かぐやま(香具山)と読ませている。
  万葉集の2番歌の「国見」の歌の山は、宇治天皇が国見に登った香山の歌であろう。13番歌、14番歌の高山を
 「かぐやま」と読ませた山は、本当に「たかやま」であり、大鷦鷯天皇の難波高津宮(行橋市の 五社八幡神社 )
 の向かいにある 幸ノ山 である。それが、この高山である。