「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 聖徳太子の正体 蘇我氏は「みやこ」にいた
(平成29年6月3日 みやこ町歴史民俗博物館。4 日 嘉麻市NICO)の講演より
「 天皇家と蘇我氏の歴史⑦ 舒明天皇・皇極天皇 」 より
天豐財重日重日、此云伊柯之比。足姬天皇、渟中倉太珠敷天皇曾孫、押坂彥人大兄皇子孫、
茅渟王女也。 母曰吉備姬王。天皇順考古道、而爲政也。息長足日廣額天皇二年、立爲
皇后。十三年十月、息長足日廣額天皇崩。
元年春正月丁巳朔辛未、皇后卽天皇位。以蘇我臣蝦夷爲大臣如故。大臣兒入鹿更名
鞍作。自執國政。威勝於父。
蘇我蝦夷が大臣のままで、入鹿が国政を執り、父よりも勢いが勝っていた。
二年(六四三)四月二十八日、更に飛鳥板蓋宮( 福原長者原遺跡 か)に遷る。
冬十一月、蘇我大臣蝦夷・兒入鹿臣、雙起家於甘檮岡。
三年(六四四)十一月、蝦夷・入鹿、家を甘樫丘(みやこ町と行橋市の境の馬ヶ岳、中世の城跡の基か)に
並べ建つ。
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