「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 魏志倭人伝を解く! 宗像(神湊)が末盧国なら邪馬台国は田川だ
(平成28年8月7日、於 田川市民会館講堂)の講演より
倭国大乱 の後に、 卑弥呼 は共立(西暦200年)された。その倭国大乱時の頃の遺跡が、香春町宮原の宮原遺跡である。
この遺跡をGoogleの航空写真で上空から見ると「前方後円墳」の壺型古墳の形をしている。現在、周りが畑になっているが、
堀跡に見える。
ここから石棺と内行花文鏡が出土している。しかし、 香春町教育委員会は、まだ、前方後円墳と認めていない。
この遺跡から出土して内行花文鏡は、後漢式鏡で三国時代の前の鏡であり、奈良県桜井市にあるホケノ山古墳(三世紀中葉)
より100年以上古い。
ホケノ山古墳が、日本最古の前方後円墳と言われてきたが、この宮原遺跡(前方後円墳?)の方が古い。香春町歴史資料館
前の「箱式石棺墓」の説明に「20世紀の時点で、終末が今から約1,800年前」と書かれている。したがって、倭国大乱時の時期の
墓にあたる。
また、神籠石が造られたのも倭国大乱の時期で、その代表的な神籠石が、 御所ヶ谷神籠石 である。『日本書紀 崇神紀』に
箸墓を造る時の歌があるが、歌の内容と奈良県の地形では合わない(奈良県の地形では、上がるのではなく、下ることになる)。
大坂に 継ぎ登れる 石群を 手遞傳に越さば 越しかてむかも
この歌の大坂は、大坂山(飯岳山)のみやこ町側の下にある 犀川大坂 から御所ヶ谷へ石を登って運ぶ歌である。
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