「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 犀川(今川)= 飛鳥川(あすかがわ)、河川争奪の場所は「灰坂」辺り

 福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 それは香山(かぐやま)の東にあった!」の
 資料「 狂心の渠と吉野宮 」の 9ページ『古今和歌集』の下記の歌より「 飛ぶ鳥の明日香」の地を田川郡赤村
 比定した。』とあります。

 福永晋三先生の著書『倭歌が解き明かす古代史 真実の仁徳天皇』の 「Ⅱ 飛ぶ鳥の明日香』の中の「犀川の流路
 変遷」の項に「今川は、以前は犀川と呼ばれていた。その犀川が赤村の昭和四十年代まで灰坂と呼ばれた辺りで
 ほぼ直角に北から東の方へ向きを変えています。
  赤村付近を源流として行橋市方面に流れていた現在の 今川 の下流部分(古事記で山代川/日本書記で山背川
 読んでいる)が、犀川の源流を奪取した為に元の犀川の下流部(現 御禊川 )は源流と絶たれ、附近の丘陵地帯のみが
 水源となり現在のような細い川になった。」の記述があります。

 河川争奪(かせんそうだつ)の説明は、  こちら  をご参照下さい。

『日本書紀 仁徳紀』の「流末」に関する今川の流れが変わった為に川の水が氾濫した影響の記述は、  こちら 
 ご参照下さい。

■ 『古今和歌集』 一八・雑 九三三 詠み人知らず 

世の中は 何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる

*.詠み人知らずの歌は、万葉集のできた同時期の古い歌で、実景描写の歌らしい。世の中に変わらないものが
 あるだろうか。飛鳥川の昨日は淵だったところも、今日は浅い瀬になってしまった。

■ 畝尾山の方角に流れていたと思われる歌が、『古事記』 「 当芸志美美命の反逆 」 の記述にある。

狭井河よ 雲立ちわたり 畝火山 木の葉騒ぎぬ 風吹かんとす

 伊須氣余理比賣が御子達に危険を知らせる歌。この「当芸志美美命の反逆」から「 倭国大乱 」が始まる

*.この歌に詠われた 狭井河(さいがわ) こそが、飛鳥川 である。
  ⇒ 「サイ川の方から雲がわきおこり、ウネビ山の木の葉さやさやと鳴り騒いでいる。」とあり、サイ川は
   畝傍山(香春一ノ岳)の近くを流れていた。河川争奪が起こる前は、現在の御禊川(みそぎがわ)の流れが
  サイ川の流れだった。
   この河川争奪は、『古事記 神武記』で「サイ川」と歌われた時代と『日本書紀 仁徳紀』に書かれた
  流末での川の氾濫が起こる間の時代(成務天皇の時代)に発生した。
   『古今和歌集』のこの飛鳥川の歌は、紛れもなく実景描写の歌である。飛鳥川のある土地が、飛鳥である
  ならば、ここ赤村が、飛鳥の地ということになる。
   赤村には、字名「岡本」があり、この岡本に「光明八幡神社」がある。300年前まではこの地には「我鹿
  八幡神社が」あった。この場所が舒明天皇の 飛鳥岡本の宮 跡になる。

 

「地図」

<所在地のGoogelマップ> ・・・ 南から北に向かって流れていた今川が、東に向きを変えて行橋に流れていく