「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 それは香山(かぐやま)の東にあった!」の
資料「 狂心の渠と吉野宮 」の 9ページに『古今和歌集』の下記の歌より「 飛ぶ鳥の明日香」の地を田川郡赤村と
比定した。』とあります。
※ 河川争奪(かせんそうだつ)の説明は、 こちら をご参照下さい。
※『日本書紀 仁徳紀』の「流末」に関する今川の流れが変わった為に川の水が氾濫した影響の記述は、
こちら を
ご参照下さい。
■ 『古今和歌集』 一八・雑 九三三 詠み人知らず
*.詠み人知らずの歌は、万葉集のできた同時期の古い歌で、実景描写の歌らしい。世の中に変わらないものが
あるだろうか。飛鳥川の昨日は淵だったところも、今日は浅い瀬になってしまった。
*.この歌に詠われた 狭井河(さいがわ) こそが、飛鳥川 である。
⇒ 「サイ川の方から雲がわきおこり、ウネビ山の木の葉さやさやと鳴り騒いでいる。」とあり、サイ川は
畝傍山(香春一ノ岳)の近くを流れていた。河川争奪が起こる前は、現在の御禊川(みそぎがわ)の流れが
サイ川の流れだった。
この河川争奪は、『古事記 神武記』で「サイ川」と歌われた時代と『日本書紀 仁徳紀』に書かれた
流末での川の氾濫が起こる間の時代(成務天皇の時代)に発生した。
『古今和歌集』のこの飛鳥川の歌は、紛れもなく実景描写の歌である。飛鳥川のある土地が、飛鳥である
ならば、ここ赤村が、飛鳥の地ということになる。
赤村には、字名「岡本」があり、この岡本に「光明八幡神社」がある。300年前まではこの地には「我鹿
八幡神社が」あった。この場所が舒明天皇の 飛鳥岡本の宮 跡になる。
<所在地のGoogelマップ> ・・・ 南から北に向かって流れていた今川が、東に向きを変えて行橋に流れていく