「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 香椎宮(かしいぐう) = 橿日宮(かしひのみや)

 香椎宮(かしいぐう)は、仲哀天皇、神功皇后が主祭神。香椎廟。香椎神宮と呼ばれることもある。

 福永晋三先生のタイトル『東西五月行(統一倭国)の成立』の「 資料:東西五月行の成立 」の18ページ
 鯷倭(しわ)の興亡に「神功天皇(神功皇后) の征西」の以下の記述がありますが、

  2016年3月講演『初代神武天皇は田川で即位した』以降は、下記の内容に修正されています。

   肥前松浦 は、神功皇后に滅ぼされた勝門姫の一族が、西に移動した後の松浦であった。
  田中和典さんの再発見と新発見です。田中さんの実家の糸島の宮地岳神社の祭神が勝門姫ということが
 判明したのです。
  仲哀天皇記は魏志倭人伝のマツロ国が最初から宗像の地である事を証明していました。肥前松浦をマツロ国に
 比定した説はすべて間違いとの結果が出ました。
  勝門姫は宗像の「 釣川 」のほとりで殺されたようです。私の説も肥前松浦ではなく、筑紫松浦の事件と
 修正します。

※ 魏志倭人伝を解く! 宗像(神湊)が末盧国なら邪馬台国は田川だ
  (平成28年8月7日、於 田川市民会館講堂)の講演より

  儺県の橿日宮は、負立(おいたて)八幡宮。この負立と言う文字は、仲哀天皇の棺?を背負ってきたからで、
 元々の橿日宮は、ここか?
  境内には樫の木が植わっている。この神社の場所は、柏の森と言うが、「かやのもり」とは読めない。通常は、
 「かしのもり」としか読めない。
  福岡市東区の香椎宮は、移った先の橿日宮。筑紫の末羅縣(宗像市)の勝門比賣(かちどひめ)を討伐する前には、
 穴門方面から行けない。

  『日本書紀 仲哀紀 八年 』
   己亥に、儺県に到りまして、因りて橿日宮に居します。

 「楽浪郡~倭奴国まで12,000里 ⇒ 帯方郡~邪馬台国まで12,000里に変わる」のページの『隋書』「俀国伝」
 「東西五月行」の記述があります。

 『神功皇后の戦略(永井功著)』より主として筑豊関係の伝説から想定される「 神功皇后御行動図 」です。

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