「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
[ 天満倭 → 虚見倭 ]
※ 福永晋三先生のタイトル『「天満倭」考-「やまと」の源流』の
資料(平成16年如月) の6ページに
『旧唐書にいう「古の倭奴国」、万葉集に詠う「そらみつ倭(やまと)」の源流を、笠置山とその周辺
(福岡県鞍手郡を中心とする遠賀川流域、いわゆる筑豊地方)に比定しています。
『日本書紀 神武紀』:「そらみつ倭(やまと)が、饒速日尊の降臨地」
■ 天族の満ち満ちる倭(の国)= 天満倭(国)
『「そらみつやまと」は倭奴国の和名、「あきつしまやまと」は神武から卑弥呼にかけての倭国の和名と
いうことが判明したようだ。
「倭」には「やまと」の訓しかないのである。そらみつやまと(のくに)」は元来、天神饒速日尊が
「あまみつやまと(のくに)」と号し、「天満倭(国)」と表記されていたのだ。
そして、「天満倭(国)」とは「天族の満ち満ちる倭(の国)」の意に他ならない。』と 8ページ に
記述があります。
■ ヤマト(山門)説/山処説
『天孫降臨(実質は天神降臨)の中心地は遠賀川流域(縄文遠賀湾~弥生遠賀潟)の地であり、そここそが
「天満倭(あまみつやまと)」の地であり、ヤマト(山門)と呼ばれた地である。
アイヌの概念がもし反映されているいるなら、この地こそ確かに「海洋から英彦山を目指す」山門の地に
当たる。
女王国もまた倭(やまと)国であった。
ここで筆者は、「山門」説 を提唱している訳だが、肝心なのは「英彦山」の指摘である。本稿の天神降臨
説話のまとめの⑤にあるとおり、倭国にとって、「日子山」は「聖なる御山」なのである。
したがって、「山処」説 においても「日子山のある処の国」の意味であることが分かる。』と 9ページ に
記述があります。
■ 天満倭 が 虚見倭 へ
『「天満倭」が「虚見倭」に替えられた背景を有する例が記紀に残されている。実は、大倭豊秋津島が
生まれたときに、すでに「亦の名は天御虚空(あまみつそら)豊秋津根別と謂ふ」と記されている。
これは倭(やまと)に掛かる枕詞の変遷を一つにまとめたものと解される。
天満・虚空見・豊秋津州の集合体である。 』と 10ページ に記述があります。
『「天満倭」が「虚見倭」に替えられた背景を有する例が記紀に残されている。実は、大倭豊秋津島が
生まれたときに、すでに「亦の名は天御虚空(あまみつそら)豊秋津根別と謂ふ」と記されている。
これは倭(やまと)に掛かる枕詞の変遷を一つにまとめたものと解される。
天満・虚空見・豊秋津州の集合体である。 』と 10ページ に記述があります。
『古事記』の「大倭(やまと)豊秋津島」
『日本書紀』の「大日本(やまと)豊秋津洲」